宇治橋_(伊勢市)
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擬宝珠
「天照皇太神宮 御裳濯川御橋 元和五己未年(1619年)三月」の刻印がある

木除杭

橋脚の構造

歴史

宇治橋は内宮創建当初には架けられておらず、五十鈴川の浅瀬に石を並べ渡っていたと考えられている。雨で増水すると渡れなくなり祭事に影響するため、架橋が望まれていた。斎王が神宮を運営していた時代には朝廷の公費で運営されていたが、五十鈴川への架橋の費用は認められなかった。

内宮前の五十鈴川の橋の最古の記録は1190年代(建久年間)に書かれた『皇太神宮年中行事』の津長神社(つながじんじゃ、現在は内宮摂社)での「橋」となる。続いて南北朝時代に斎王が廃止された頃の1342年康永元年)に書かれた『伊勢太神宮参拝記』となるが、いずれにせよどのような橋であったかは記されておらず定かではない。これ以後は室町時代に度々流されたと記録されていることから、仮橋か水面すれすれ程度の低い橋であったと推測される。斎王廃止とともに朝廷からの運営資金が滞るようになり、式年遷宮が遅れがちになった。

室町幕府の政権が揺らぎ始め徐々に政情が不安定になると、伊勢国国司北畠氏志摩国土豪などが神領(神宮の領地)を取り上げ始めた。荘園などからの収入が激減した神宮は弱体化し、1429年正長2年)に外宮の神人(じにん、下級神職)と地下人(じげにん、村人)と合戦が生じた。これ以降、宇治山田合戦に代表される神領での争乱が多発した。北畠氏や土豪が争乱に介入して神領を次々に収奪、結果として神宮は困窮を極めた。外宮では1434年永享6年)の第39回式年遷宮を最後に中絶となり、内宮では第40回式年遷宮が予定より11年遅れて1462年寛正3年)に行なわれたものの、これを最後に戦国時代には中絶され、外宮、内宮、両宮の全ての宮社が荒廃した。

神宮の荒廃を嘆いた僧尼たちが神宮の許可の得て日本中を回り、五十鈴川への架橋を主とする資金を集め始め、これらの僧尼は勧進聖(かんじんひじり、単に聖とも)と呼ばれた。聖の最古の記録は室町時代の1452年享徳元年)の賢正と最祥の2人の僧であるが、10年以上の行脚ののちに2人とも行方不明の結果に終わった。

この2人の消息が不明になった頃に大橋勧進聖本願坊を名乗る聖が現れ、1464年(寛正5年)に大橋が完成。藤波氏経ら10人の禰宜が13,000回のお祓いを行ない、橋が末永く使えるように祈願した。「大橋」の名はこの時の記録が初出であるが、この頃には橋が何回も流されていたため、橋祈祷を行なうことが通例となっていた。この「大橋」は翌年の夏に洪水で流されてしまったため、仮橋架橋の費用として足利将軍家から100が大橋勧進聖本願坊を通じて寄進されたが、この仮橋も1年もたずに流されてしまった。

現世と来世の利益を庶民に説いて回った稲苅十穀乗賢という聖が、1477年文明9年)に宇治橋を造営する資金の調達に成功した。沙門道順、観阿などの活動がこれに続き、守悦(しゅえつ)は8年の活動ののちに1505年(永正2年)に御裳濯橋架橋を成功させた。これら聖は宇治橋だけでなく、風日祈宮参道の風日祈宮橋も造替している。守悦法師から3代目の清順1547年天文16年)に御裳濯橋を造営し、戦国時代末期の1563年永禄6年)、約150年間途絶えていた外宮の遷宮を再興させた。この功績で清順は後奈良天皇から慶光院の号を許され慶光院上人となり、守悦は初代慶光院上人と呼ばれるようになった。1594年文禄3年)に豊臣秀吉宮川下流左岸の磯(現在の伊勢市磯町)の100を慶光院の寺領として与えた。磯の住人には神宮式年遷宮で内宮正殿の御扉木の用材を奉曳(用材を運搬すること)する特権が与えられた。磯の住民による奉曳は慶光院曳(けいこういんびき)と呼ばれ、慶光院が明治に廃寺となったのちも受け継がれ、第62回神宮式年遷宮での御扉木は2006年に慶光院の子孫と磯の住民などにより宇治橋の前を経由して奉曳された。天正年間に海賊大名で知られる九鬼嘉隆が宇治橋奉行を務めた。

江戸時代になり大坂夏の陣豊臣氏が滅んでから4年後の1619年元和5年)には、時の将軍徳川秀忠が宇治橋を造替した。徳川幕府の政権下で日本の政情が安定すると、御師が活発に活動するようになり、安定した資金調達により式年遷宮は途絶えることはなくなり、宇治橋の造替も滞りなく行なわれた。お蔭参りが流行した頃には宇治橋五十鈴川へ投げ銭をする参拝客が多く、橋の下で投げ銭を網で拾う人が現れ網受けと呼ばれた。網受けは明治初頭に神域に相応しくないと禁止された。懐かしむ声により一時的に復活したものの、再び禁止された。

明治初期までは宇治橋の内にも民家があったが、神苑会による神苑整備の一環として退去させられた。この頃に五十鈴川は石垣護岸され、宇治橋西側が参道口として整備された。饗土橋姫神社が山寄りに移動させられ、現在の宇治橋前の景観が整えられた。
脚注[脚注の使い方]^ a b c日本経済新聞』NIKKEIプラス1(土曜朝刊別刷り)2020年4月25日 何でもランキング:木橋 美しきシンボル/第2位:伊勢神宮の宇治橋(三重県伊勢市)日常と神聖な世界 結ぶ(2021年2月1日閲覧)
^ a b c “伊勢神宮宇治橋前の大鳥居完成「なぜ、遷宮後すぐ新しい鳥居ができないか?」”. 伊勢志摩経済新聞 (2014年10月3日). 2014年12月29日時点の ⇒オリジナルよりアーカイブ。2014年12月29日閲覧。
^ a b c d “伊勢神宮の宇治橋鳥居、20年ぶり新調 旧正殿のヒノキ使用”. 『日本経済新聞』(共同通信配信記事) (2014年10月3日). 2014年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年2月1日閲覧。
^ 『桑名市史』『関町史』
^ a b 「冬至の神秘 ありがたや 伊勢神宮・宇治橋に朝日」『中日新聞』朝刊2014年12月23日付(伊勢志摩版16ページ)
^ 『お伊勢さん125社めぐり, p. 116.
^ 『伊勢神宮に行こう』, p. 54.

参考文献

「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『
角川日本地名大辞典 24 三重県』角川書店、昭和58年発行

鎌田純一『神宮史概説』神社本庁、平成17年5月2日発行2版、ISBN 978-4-91-526502-0

桜井勝之進『伊勢神宮の祖型と展開』国書刊行会、平成3年11月30日発行、ISBN 978-4-33-603296-6

桜井勝之進『伊勢神宮』学生社、昭和44年5月20日発行

神宮司庁編『お伊勢まいり』伊勢神宮崇敬会、平成8年発行

矢野憲一『伊勢神宮 知られざる社のうち』角川書店、平成18年11月10日発行、ISBN 978-4-04-703402-0

『お伊勢さん125社めぐり:伊勢神宮の125社を歩いて訪ねる12コース』伊勢文化舎編、伊勢文化舎〈別冊『伊勢人』〉、2008年12月23日。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}ISBN 978-4-900759-37-4


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