少年院での生活において改心。この時に読んだチャーリー・チャップリンの伝記が俳優を志すきっかけとなる[5]と同時に高校復学のための勉強に励み、その後明治大学付属中野高等学校定時制を卒業、同級生には近藤真彦、野村義男、野々村真、つちやかおり、佐久間レイ、藤慎一郎(神力裕)他多数のアイドル芸能人がいた。パパイヤ鈴木、布川敏和らは後輩。
当時、出演したドラマの『ザ・ハングマン』は犯人役であったが、同回の誘拐される少女役の横田ひとみも同級生であった。
デビュー後を訪問したところ、そこに居合わせた菅原文太から「お前、何者だ。歌い手か」と呼び止められ、「いえ、俳優になりたいんですが、どうやったらなれるのかわからないので、にしきのさんのところでお手伝いをしています」と答えた[4]。すると菅原はすぐにしきのの事務所に電話をかけ「おたくのところのでかいの、もらっていいか」と言って電話を切り、彼から「ということでいいな」と言われてそのまま付き人となった[4]。以降、菅原をオヤジと呼んで慕っており[4]、菅原の死去後にはマスコミに追悼コメントを語っている。
美輪明宏に見出され、『青森県のせむし男』(寺山修司作)にて初舞台を踏み、美輪から紹介された渡辺えりなどの元で舞台経験を積む。若いころはスリムで美男であり、18歳から2年間ほど、同じ事務所に所属していた鶴田浩二から名前をとって「津村 浩」の芸名で活動をしていた。長らく無名で下積みの時代が続き、売れない時期は、芸能以外の仕事をして食いつないだり、もっぱら映画を鑑賞して過ごした。当時鑑賞した作品が現在の芸能活動の糧になっていると発言している。
1980年代後半になり多数のトレンディドラマに脇役で出演するようになると、徐々に知名度が上昇し、1997年に『ひとつ屋根の下2』(フジテレビ)のピカリン(前園俊雄)役でブレイク[9]、以降多数のテレビドラマや映画で活躍。一方で舞台出身であることから『打打芝居』(1990年結成)、『damim』(1999年10月結成)といった演劇ユニットを主宰し、自らプロデュース公演の形で舞台を制作してきた。2007年には「劇団」という形でしか表現できない舞台作りを追求したいとの思いから、金井良信・平野貴大らと共に『劇団PATHOS PACK』(パトスパック)を結成[10]。活動を続けていたが、2021年7月の北海道公演を最後に一区切りした[11]。
2015年、7月公開の映画『未来シャッター』高橋和勧監督作に、菅原文太が内諾していたナレーターには宇梶が遺志を引き継いで出演している[12]。
2019年4月24日、『みみよりライブ 5up!』(広島ホームテレビ)に出演し、手づくり工房ごーあっぷホーム 古民家をDIYで大人の隠れ家を作ろう プロジェクトリーダーに就任。