大学の共同利用機関でもあり、東京大学大学院理学系研究科・工学系研究科や総合研究大学院大学(物理科学研究科宇宙科学専攻)他の大学院教育としての研究教育活動を展開している。
今後予定しているミッションとして、金星探査ミッション、水星探査ミッション、次期月探査ミッション、次期小惑星探査ミッションなどがある。共同ミッションとしては、国立天文台などと共同で実施しているスペースVLBI計画がある。その他、共同研究ミッションとしては宇宙望遠鏡計画の実現に向けた技術開発や深惑星探査ミッションなども国際共同研究ミッションとして提案を実施した。 期間氏名
歴代所長・本部長
1964年 - 1968年高木昇
1968年 - 1972年曽田範宗
1972年 - 1973年玉木章夫
1973年 - 1976年浅沼強
1976年 - 1977年五十嵐寿一
1977年 - 1979年
1979年 - 1981年野村民也
1981年 - 1984年森大吉郎
1984年 - 1988年小田稔
1988年 - 1992年西村純
1992年 - 1996年秋葉鐐二郎
1996年 - 2000年西田篤弘
2000年 - 2003年松尾弘毅
2003年 - 2005年鶴田浩一郎
2005年 - 2009年井上一
2009年 - 2013年小野田淳次郎
2013年 - 2018年常田佐久
2018年 -國中均
研究内容
以前から研究を続けていた分野
イオンエンジンの研究開発
衛星搭載に必要な機器全体のシステム工学的な研究開発
精度の高い人工衛星打ち上げ技術の研究開発
宇宙往復機の研究開発(共同研究)
宇宙空間からのマイクロ波リモートセンシングおよび合成開口レーダー画像に関する研究
最近の研究分野
惑星探査に必要な機器の研究開発・データ分析
光学式宇宙望遠鏡搭載に必要な機器の研究開発
軌道設計に必要なコンピュータプログラムの研究開発
イプシロンロケットの研究開発
これらを、小型の衛星に搭載するための研究、設計や開発業務を行う。 宇宙教育センターが設置され、宇宙科学研究所をはじめとして、宇宙基幹システム本部、宇宙利用推進本部との連携によって、小学校・中学校・高等学校の生徒を対象に宇宙教育事業を展開。その成果については、宇宙のポータルサイトなどにて公開されている。 宇宙科学研究所には月・惑星探査プログラムグループが設置されており、惑星探査計画実施の実行本部が置かれる。 神奈川県相模原市中央区由野台3-1-1 相模原キャンパスでは年に1回特別公開が行われ、職員一同でさまざまなイベントや研究活動紹介を実施している。 1945年(昭和20年)日本敗戦し、GHQより航空分野の研究開発を禁止される。
その他
施設概要
相模原キャンパス詳細は「JAXA相模原キャンパス」を参照
本部棟
研究所として
広報担当などの事務関連の部署が所属
宇宙科学研究における研究室および講座が所属
宇宙管制センターとして
深宇宙探査機管制室 - 鹿児島の内之浦宇宙空間観測所や、種子島宇宙センターおよび海外の宇宙基地で打ち上げられた、科学衛星や月・惑星探査機から送られてくるデータを元にして、宇宙機の管制制御を行う。管制制御データは、内之浦宇宙空間観測所のテレメータセンターや臼田宇宙空間観測所のパラボラアンテナを通じて、各探査機との間で送受信される。
大型計算機室 - SX-6(NEC製)やSUN Ultra SPARC station(EWS)など。
衛星組み立て棟 - 工学実験衛星(科学探査衛星)などの開発が行われる施設。
磁場試験棟 - 宇宙磁場や高度真空を想定した試験を行う施設。
惑星物質試料受け入れ設備 - サンプルリターンによって入手された地球外物質を取り扱う施設。
宇宙科学探査交流棟 - 宇宙科学に関する展示が見学できる施設。
所在地
交通(神奈川中央交通東バス利用)
JR横浜線相模原駅南口より[相02]相模大野駅北口行に乗車、「宇宙科学研究本部」下車、徒歩5分。
小田急小田原線・小田急江ノ島線相模大野駅北口・横浜線古淵駅入口より[相02]相模原駅南口行に乗車、「宇宙科学研究本部」下車、徒歩5分。
JR横浜線淵野辺駅南口より[淵36]青葉循環・淵野辺駅南口行(共和先回り)に乗車、「宇宙科学研究本部」下車、徒歩5分。
JR横浜線淵野辺駅南口より[淵37]青葉循環・淵野辺駅南口行(博物館先回り)に乗車、「市立博物館前」下車、徒歩2分。
運用担当施設
秋田ロケット実験場 - K-8-10の事故によって使用中止。施設は撤去されて現在は記念碑のみ。
内之浦宇宙空間観測所
能代ロケット実験場 - 宇宙3機関統合に伴い宇宙輸送ミッション本部の管轄となり、名称が能代多目的実験場へ変更されたが、2011年4月1日より宇宙科学研究所へ移管され、名称も戻された。
臼田宇宙空間観測所(直径64メートル東洋一の巨大パラボラアンテナ)
パース、サンティアゴ、マスパロマス、キルナのJAXA追跡局 - 科学衛星打ち上げ時の追跡に使用。
三陸大気球観測所 - 2007年の大気球実験をもって使用停止。
大樹航空宇宙実験場 - 2008年から大気球実験を実施。
沿革
1952年(昭和27年)日本主権回復し、航空分野の研究開発が一斉に再開する。
1953年(昭和28年)糸川英夫がアメリカから帰国する。
1954年(昭和28年)2月5日東京大学生産技術研究所の糸川英夫を中心にAVSA(航空電子工学と超音速航空工学連合)研究班発足。
1954年(昭和29年)国際地球観測年(IGY、1957 - 58)での観測に参加を決定。
1955年(昭和30年)3月11日東京都国分寺の工場跡地でペンシルロケット(23センチ)の水平試射に成功。
8月文部省が秋田県道川海岸をロケット垂直発射場に選定し、「秋田ロケット実験場」とする。
8月6日秋田ロケット実験場でペンシルの弾道飛行試験を開始。最初の高度記録はペンシル300(30センチ)の600メートル。
8月23日全長1.3メートル、直径8センチの2段式ベビーロケットの飛行試験開始。ベビーSが4キロを達成。
1956年(昭和31年)9月24日高高度観測用の大型「カッパ(K)ロケット」飛行試験開始。
1958年(昭和33年)9月12日2段式のカッパ6(K-6)型が高度約60キロに到達。上層大気の風速風圧、宇宙線の観測に成功。
1960年(昭和35年)7月11日K-8型1号機が高度190キロに到達し、イオン密度の観測に世界で初めて成功。
10月24日鹿児島県内之浦に射場の建設決定。
1961年(昭和36年)10月24日K-8型8号機が高度200キロ到達。
12月26日3段式のK-9L型で350キロ到達。
人工衛星打ち上げを目指す大型の「ラムダ(L)ロケット計画」開始。
1962年(昭和37年)5月24日K-8型10号機が燃料の配合不具合が原因で打ち上げ直後に爆発、破片が周囲の民家に落下して炎上(負傷者なし)。
秋田ロケット実験場使用中止(延べ打ち上げ回数88回)。
10月能代ロケット実験場開設。
11月25日K-9M型観測ロケットの打ち上げ開始。1988年まで計81回。
1963年(昭和38年)4月本格的宇宙開発を目指す「ミュー (M) ロケット計画」開始。