宇多丸
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2007年4月7日、TBSラジオにて自身の冠番組ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』の放送が開始される。2008年4月6日、自身のラジオ番組ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』において、後の看板コーナーとなる映画評論コーナー「ザ・シネマハスラー(現:週刊映画時評 ムービーウォッチメン)」がスタートする。第1回目に評論した映画は『カンフーくん』だった。

2009年3月20日、TBSラジオにてスタートした小島慶子がメインパーソナリティを務める『小島慶子 キラ☆キラ』の水曜パートナーとしてレギュラー出演。

2009年4月、日本国内の放送業界における優秀番組・個人・団体を顕彰する第46回ギャラクシー賞にて、パーソナリティを務めているラジオ番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』(通称「タマフル」)の業績を評価されて、DJパーソナリティ賞を受賞[8]

2010年1月、喉のポリープの除去手術を行い1ヶ月活動を休止する。その間自身のラジオ番組を番組スタッフ、小島慶子西寺郷太吉田豪K DUB SHINE小西克哉Mummy-Dなどが代わりに担当した。(術後のため、本人はカンペなどで放送に参加)

2010年2月27日、自身のラジオ番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』の映画評論コーナー「ザ・シネマハスラー」が『TAMAFLE BOOK 「ザ・シネマハスラー」』として書籍化される。

2010年4月16日、フジテレビ系列局にて放送されていた『1924』のMCを務める。自身にとって初の地上波でのレギュラー番組であった。

2011年2月10日、一般人女性との婚姻を発表。結婚前は映画鑑賞、DVD&書籍購入、モデルガン収集、海外のビデオゲーム、ドイツ製のボードゲームといった趣味に関する収集物で溢れていたが、結婚を契機にこれらを整理することになった。

2011年4月2日、TOKYO MXにて放送されていた『5時に夢中!サタデー』に浅草キッド玉袋筋太郎などと共にレギュラー出演。玉袋筋太郎とは後に同局で放送される『バラいろダンディ』でも共演を果たす。

2012年1月13日、BSジャパンにて放送されていた『ギルガメッシュLIGHT』にR&BシンガーであるSILVAなどと共にレギュラー出演。同番組では後に大ブレークを果たす壇蜜などが出演していた。

2012年3月28日、自身のラジオ番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』のビデオ映画『タマフル THE MOVIE ~暗黒街の黒い霧~』を発売。監督はSR サイタマノラッパーシリーズで知られる入江悠が担当した。

2014年4月2日、TOKYO MXにて放送されていた『ニッポン・ダンディ』の後番組『バラいろダンディ』に水曜レギュラーとして出演する。

2014年11月5日、BSジャパンにて放送されていたドキュメンタリードラマ強靭ボディSEXYボディ』にMr.ブルーバック役として出演する。自身にとってこれが初のドラマ出演である。

2015年3月27日、自身のラジオ番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』内の特集コーナー「サタデーナイト・ラボ」をまとめた書籍『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル “神回”傑作選 Vol.1』が発売される。

音楽活動のほか、アイドルや映画の評論も手がけ、雑誌などに複数の連載を持ち、書籍化もされている。

RHYMESTER以外の活動として、日本語DJ集団「申し訳ナイタズ」では宇多丸申し訳Jr.という名のDJとしても活動している。また、他のアーティストへの楽曲の作詞を手掛けたものとして、Skoop On Somebodyの「December」などがある。
芸名について

芸名は桂歌丸及び宇多田ヒカルに由来する[9]。物申す感じが『笑点』でいえば歌丸のポジションだという評判と、当時からスキンヘッドにしていたことに由来する[9]。宇多という字は、宇多田ヒカルが流行っていた時期に、そのまま借用した[10]。ラジオに出演し始めた頃、ラテ欄に「歌丸」と載るのは問題だと思い、宇多田ヒカルの字を当てて「宇多丸」とした[9]

長らく桂歌丸本人無断で「うたまる」の芸名を使用していたが、2011年12月に桂歌蔵が仲介人になり、同じ芸名である「うたまる(宇多丸)」を使用する許可を得た[9]。その時の様子が2011年12月17日に放送された自身のラジオ番組『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』にて放送され、その際に自己紹介ラップを披露した[11]。桂歌丸からは「どうぞお名乗りください。宣伝になるから」と快諾された[9][12]
エピソード

父親は
精神科医石川信義ディスコ付設の完全開放病棟を作るなど破天荒な医師であった[13]。デビュー前にもかかわらず、ブッダブランドの存在を知っており、「CDはいつ出るんだ?」と発言し、宇多丸を驚かせた[14][15]

子供の頃、架空の弟ソウスケをつくって遊んで母を泣かせる[16]

RHYMESTERの元メンバーDr.LOOPERとは中高時代の同級生である。

高校3年生の夏、予備校の模試で国語が全国2位になった[17]。なお、苦手な物理では0点を取っている。

初めて人前でライブしたのが高校の学園祭で、友人のDr.LOOPERと共にザ・ぼんちの『恋のぼんちシート』を歌った。その時のグループ名は“ウクレールP”である。

「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」では部長を務めた。ちなみにRHYMESTERのメンバーは3人とも部長を務めている。

スキンヘッドにした理由について、若き頃に漫画『AKIRA』の鉄雄のようにツンツンに髪を立てていたが、そのためにいつも前髪部分にベッタリ整髪料を付けて髪を固めていたので、前頭部の毛穴が死んでハゲ上がってしまい、やむなくスキンヘッドに移行したという。

スキンヘッドのために使っているカミソリはジレット電撃ネットワークギュウゾウの勧めによる。

1994年に大ヒットしたEAST END×YURI『DA.YO.NE』の歌詞にある「佐々木」とは宇多丸のことであり、PVにも出演している。

2001年に『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングにRHYMESTERの3人で出演した際、モーニング娘。のTシャツを着て登場し、タモリに突っ込まれていた。

三浦大知のファンであると公言しており(Folder時から)、2006年『 ⇒No Limit featuring 宇多丸(from RHYMESTER)』に参加を果たす。mixi内のコミュニティ「だいちゃー増殖計画」にて「だいちゃー522号(名誉会員)」となる。

Perfumeをインディーズ時代から注目し、「アイドル界最後の希望」「Perfumeがダメなら、このジャンル(テクノポップ)はもう終わり」と語っている[18]。「ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル」にしばしばPerfumeをゲストに招いているほか、Perfumeのアルバム『GAME』の収録曲「シークレット・シークレット」のPVでは真っ赤なスーツに金髪おかっぱ頭の司会者としてカメオ出演を果たす。

アニメ『ザ・シンプソンズ』の劇場版製作に際し、テレビ版で吹き替えを務めていた声優から芸能人に変更されたことに反対した著名人の1人である。


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