孫武
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理由を整理すると、『史記』以前の『春秋左氏伝』等の有力な古籍に孫武の名が全く見られないこと、「武」という名が出来すぎていること、『漢書』「芸文志」には「呉孫子兵法八十二篇図九巻」あって、現行の十三篇の孫子と符合しないことなどである。ただし、この孫武非実在説が正しいかどうかも論争の対象となっていて、『古今偽書考』では、「では史記の孫武の記述はウソなのか?孫武は実在したのか?しなかったのか?もはや古代のことで全くわからない」と、さじを投げている。

彼らは『史記』などの古文献の記述の真実性を疑問視し、更に孫子の文章の中に戦国時代の思想である「形名」「五行」[7]などが登場する上、春秋時代の合戦の有様と孫子の文章が相違している点が多いことを論じている。この一派を「疑古派」と称し、彼等により『孫子』は孫?の著作とするもの、ひいては孫武自体が架空の人物であるとする見解が、末期から現代にかけて有力になったこともあった。1980年代頃までの孫子の解説書は概ね当時主流のこの立場に拠り、孫武は架空の人物と断定した記述がある。例えば、1961年に出版された貝塚茂樹の『諸子百家』(岩波新書)では、「孫子の兵法は呉の軍師孫武の作だというのは全くのデタラメで、孫?自身の作品に他ならないことが最近明らかにされた」と断じている。だが1972年山東省臨沂県で発掘された一群の銀雀山漢簡で『孫子兵法』十三編と、孫?の著した兵法書(『孫?兵法』)の竹簡が発見された。さらに分析の結果『孫子』十三編は『孫?兵法』とは別物であることが証明され、孫武の実在が確かめられたのである(金谷治の説)。

ただし、孫武の事跡に関する史実性に関しては論争が継続しており決着を見ていない。研究者の一部からは、『史記』孫子伝の信憑性が疑われている。特に孫子勒姫兵(孫子勒兵)の故事については「指揮に従わないというだけで隊長を処刑することも、その他の行動も孫子兵法に合致しない。この話は孫子の兵法を曲解した後世の者の創作であろう」(天野鎮雄、要約)、「説話的で、史実とは考え難い」(金谷治、同)等の意見も有力である。金谷治は、『孫?兵法』に「孫氏の道」とあることから、孫武を中心にした孫氏学派のような兵法家集団がおり、今の孫子兵法は孫武の作に兵法家たちが付加して成立したものだと考えており、天野鎮雄は、孫子兵法の重複部分を削ったものが、おそらく孫武の真作に近い部分ではないかと考え、「原孫子」を推定している。
孫子の子孫

上記の『新唐書』「宰相世系三下」によると孫一門は、田完から五世の子孫である孫武の祖父が軍功あって孫姓を賜ったことに遡る。

それによると、孫武につき「(孫)憑は武を生む。(武の)字は長卿。田・鮑四族の謀、乱を為すを以て,呉に奔り,将軍となる。三子あり、馳、明、敵なり」とし、孫武には孫馳孫明・孫敵という三人の息子がいたと記述する。次男の孫明は呉の富春郡を賜り、後の富春孫氏の祖となったと伝わる。富春孫氏はまた富春龍門孫氏と称され、『四庫全書』によれば三国時代孫堅孫策孫権父子はこの家系とされる。

一方で『三国志』の著者陳寿は「孫堅は孫子の子孫だといわれる」と曖昧に記し、さらに南朝宋代の『異苑』は、孫堅の父は「瓜売り」の孫鍾なる人物であったとする。同時期の『幽明録』(現在は散逸)や、東晋の裴啓の『裴子語林』にも孫鍾の名が記されているなど反証も多く、孫堅が実際に孫武の子孫かどうかは疑問が多い。

現在の浙江省杭州市富陽区南部のある村では、住人の9割が「孫氏」を名乗り、富春孫氏の末裔を称する。村に伝わる族譜によると、客家孫文もまた富春孫氏に連なるという。中国政府の調査によると、この族譜は清代のものである[8]
孫武を題材にした作品
小説


海音寺潮五郎 『孫子』 毎日新聞社、1964年 のち講談社文庫  のち講談社文庫・新装版(上下巻)
初出時は『小説孫子』。戦後の孫子ブームの頃、毎日新聞から依頼され海音寺が書いたものである。作者によれば、史記・孫子呉起列伝は簡潔すぎて書きようがなく、兵法書・孫子から類推して人物造形を行ったという。この本の創作が史実のように引用されることもあるため注意を要する。

鄭飛石、李銀沢訳 『孫子の兵法(上・下)』 光文社、1986年。

漫画


鄭問東周英雄伝』より「孫武」

杜康潤 『江河の如く 孫子物語』KADOKAWA中経出版BC)ComicWalker「キトラ」連載、単巻(書籍扱い)、2015年。

横山光輝史記

テレビドラマ


『孫子』(原題:孫武、1997年、中国、孫武役:孫彦軍)

孫子兵法』(原題:兵聖、2008年、中国、孫武役:朱亜文)

孫子《兵法》大伝』(原題:孫子大傳、2010年、中国、孫武役:張豊毅

参考文献

出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2024年1月)


天野鎮雄訳著『孫子 呉子 新釈漢文大系36』明治書院、1972年

新版『孫子 呉子 新書漢文大系3』 三浦吉明編、明治書院、2002年


山井湧訳著『孫子・呉子 全釈漢文大系22』集英社、1975年

金谷治訳注『新訂 孫子』[9]岩波文庫、2000年、ワイド版2001年。

浅野裕一『「孫子」を読む』講談社現代新書、1993年

浅野裕一『孫子』講談社学術文庫、1997年

元版『中国の古典 孫子』講談社、1986年


貝塚茂樹『諸子百家』岩波新書、1961年

佐藤堅司『孫子の思想史的研究』原書房、1980年

河野収『竹簡孫子入門』大学教育社、1982年

大橋武夫『兵書研究』日本工業新聞社、1978年

海音寺潮五郎『孫子』講談社文庫、1974年、改版・全2巻、2008年

『図説 孫子 思想と実践』国書刊行会、2016年
趙海軍 主編/孫遠方・孫兵 副主編/浅野裕一 監修、三浦吉明 翻訳

平井洋一「孫子の兵法国際会議参加所見」『防衛学研究』第5号、1991年

宇佐見哲男「中国第二回孫子兵法国際会議に参加して」『防衛学研究』第5号、1991年

Crossland, R. L. 1983. Review of the art of war. in Naval Institute Proceedings. November, pp.105-6.

Liddell Hart, B. 1976. Sun Tzu: From the art of war. in The sword and the pen: Selections from the World's greatest military writtings, ed. A Liddell Hart. New York: Crowell.

Ramsey, D. K. 1987. The corporate warriors. Boston: Houghton Mifflin.

Sun Tzu. 1963. The art of war. trans. S. B. Griffith. Foreword by B. H. Liddell Hart. New York and Oxford: Oxford Univ. Press.

Tashjean, J. E. 1987. The classics of military thought: Appreciation and agenda. Defense Analysis 3:245-65.

Tun-Hwa, K. 1972. An introduction to the Chinese military classics. Military Review. Fort Leavenworth, Kans.: U.S. Army Command and General Staff College.

脚注^ 出口治明『哲学と宗教全史』ダイヤモンド社、2019年、154頁。 
^ この点には論争あり。論争の内容は『孫子 (書物)』を参照。
^ 字は『新唐書』宰相世系三下による。名を武とするのは呉越春秋である。天野鎮雄は『孫武』という名前を名乗った人間が兵法に優れるということ自体が偶然すぎることであり、史記孫子呉起列伝に「孫子武は斉の人なり」とあるところから、字が子武、若しくは後世の諡が武である可能性を示唆している。
^ 『呉越春秋』では呉の人だとする。天野鎮雄は孫武は呉の人だと考えており、孫武の友人であった伍子胥が子供を斉に預けた(『春秋左氏伝哀公十一年条)ことから、孫武の子供も伍子胥の子供と一緒に斉に預けられたのではないかと考えている。
^  司馬遷 (中国語), 史記/卷065, ウィキソースより閲覧。 
^ くつわ。ウマの口にかませ、たづなをつける道具。力をもっておさえ整えること。転じて命令を強制すること。
^ 銭穆によれば勢篇に登場する「形名」は法家思想の「形名参同説」に由来、斉志和は虚実篇の「五行」は陰陽家の「陰陽五行説」ではないかと考えている。いずれも戦国末期の思想家が唱えたものであり、孫武生前には存在しないことを証拠として、孫子の書が孫武と無関係であることを主張している。
^ NHK『三国志の子孫を探せ』
^ 岩波版・金谷治訳の初版は1963年。単行・ワイド版も刊行。

関連項目.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキクォートに孫子に関する引用句集があります。


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