1970年代後半から1980年代に入ると、メディアの影響[25][26] により、変形学生服の全盛時代[27] を迎え、変形学生服市場に20社以上参入し(後述)、100億円強の市場規模となり[25]、ツッパリ以外の一般の学生も好んで普通に着用していた地域や学校(主に服装規制の緩い高校など)も少なくない[28][29][30](後述)。『ビー・バップ・ハイスクール』を代表とするツッパリ系マンガやドラマの影響や、それによる変形学生服に対する憧れ、学生服に対するファッション意識の高さ等があった[19]。また、ラウンドカラー(ソフトカラー)とも呼ばれる、襟の上部に白のパイピングが縫い込まれているものも登場した(襟カラーは着脱不可)。1980年代後半より、変形学生服対策といった学校側の理由や、学生服メーカーの方向性変化における学校制服タイアップ活動などの理由[31]により、女子制服のブレザー化に合わせ[32] ブレザー型などへモデルチェンジが始まり、詰襟の学生服を採用する学校が減少していった[27]。1980年代においても、一部の大学にて学生服を着用指定するケースが存在していたが、該当する人達からは敬遠される服装となっていた[33]。
1990年代中盤以降は
不良文化の衰退
学校側の取締の強化
ブレザー型などへの制服のモデルチェンジ
不良文化の衰退、流行の変遷
中高生のファッション観や嗜好の変化
金銭的な価値観の変化(「制服にお金を掛けるよりも他の物にお金を掛ける」等)
少子化、不景気による学生服市場の縮小。不良市場の縮小
以上の理由による変形学生服の種類の減少や、変形学生服を取り扱う販売店の減少
などの理由により(地域や学校により特色があるので一概にいい切れない部分あるが)、変形学生服を着用する学生も減少し、標準型を着用する学生が大多数となった[19][27]。
2000年代にロックグループの氣志團が変形学生服姿でパフォーマンスを行い、変形学生服にも目が向けられたが、熱狂的なファンがコスプレのために変形学生服を着用するといったことにとどまった。また、2000年代の学園ドラマ『ごくせん』では、主な登場人物(第一弾の白金学院3年D組や第二弾の黒銀学院3年D組の生徒)が不良の記号的にセミ短にストレートのスラックスを着用した。一方で、学生服の上衣のボタンを留めずにブレザーの様に襟元を広く見せるように着こなし、中に着るカッターシャツ・Tシャツ・トレーナー・パーカーなどのインナーウェアや、髪型・身に着けるアクセサリーといった、別の部分のファッションにこだわる様子が描かれていた。
2010年代に入って、制服の着崩しは「ちょいゆるめ」が流行した。下着が見えるほどの「腰パン」ではなく、股上の浅いズボンと見間違う程度の「ちょい下げ」や、シャツの襟元を第2ボタンまで開けるなど、今の特徴は「さりげないおしゃれ」だという。なお、中学2年男子は、「金髪?ボンタンズボン?そんなんいないし、やったら笑われる」と話し、40代教員は、「ツッパリやルーズソックスなど、派手な格好はなくなった。非行や反抗という意味でも、ファッションという面でも、あまり自己主張しなくなった」という声が紹介されている[34]。
2011年に行われた調査では、女性が年代が下るにつれ(スカート丈など)制服を着崩していた割合が多くなり20代が79.6%と最も多いのに対し、男性では基本的に年代が上になるにつれ制服を着崩していた割合が高くなる傾向にあり、50代以上が54.9%と最も多かった。このことを見ても、男子生徒について着崩す文化は減衰傾向にあることがわかる[29]。 古くは旧制高等学校を中心にバンカラを象徴するスタイルとして、制帽や学生服、マントなどを故意に破ったり、油や、蝋を塗って不潔にする、光沢を出すなど「粗末なもの」「ボロいもの(あえてボロくしたもの)」を好んで着用する破帽弊衣と呼ばれる文化が存在した。これは当時のエリート階級である高校生が、「人間の価値は外見ではなく中身である」というテーゼを主張するために行ったデモンストレーションの一種であると考えられる。こうした傾向は進学成績などが優秀でプライドの高い一流校ほど顕著であり、現在でも一部の旧ナンバースクールなどでは伝統として受け継がれている例も見られる。 また、昭和30年代以前の学生服に既製品は少なく、基本的に全てオーダーメイドであり、標準型といった統一基準も無かったため、仕立屋や個人の好みによって一般的な学生服のデザインにある程度の個性的なデザインを追加することも既に一部では行われていたようである。こうした変形制服の歴史は戦前の職業軍人たちの間にも見られ、特に大正から昭和初期の青年将校文化華やかりし時代には、軍規に抵触しない範囲内で服地の色調や品質、ディテールやシルエットの優美さなどを競い合っていたといわれている。それらの流れが敗戦を挟んで昭和30年代以降加速し、一部の不良等に着用されたラッパズボン・マンボズボン・スカマン等の個性の強い改造・変形学生服に繋がったといえる。 おおまかに変形学生服の流行の変遷をたどるならば、上衣においては1970年代が、長ランにハイウエスト・ドカン、1980年代前半がセミ短にボンタン、1980年代後半?1990年代が極短にボンタン、1990年代中盤?中ランにスケーターであり、現在の流行は短ブレにスケーターであるとされている[35]。
着こなしの文化と流行