学生服
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1980年代においても、一部の大学にて学生服を着用指定するケースが存在していたが、該当する人達からは敬遠される服装となっていた[33]

1990年代中盤以降は

不良文化の衰退

学校側の取締の強化

ブレザー型などへの制服のモデルチェンジ

不良文化の衰退、流行の変遷

中高生のファッション観や嗜好の変化

金銭的な価値観の変化(「制服にお金を掛けるよりも他の物にお金を掛ける」等)

少子化、不景気による学生服市場の縮小。不良市場の縮小

以上の理由による変形学生服の種類の減少や、変形学生服を取り扱う販売店の減少

などの理由により(地域や学校により特色があるので一概にいい切れない部分あるが)、変形学生服を着用する学生も減少し、標準型を着用する学生が大多数となった[19][27]

2000年代にロックグループの氣志團が変形学生服姿でパフォーマンスを行い、変形学生服にも目が向けられたが、熱狂的なファンがコスプレのために変形学生服を着用するといったことにとどまった。また、2000年代の学園ドラマごくせん』では、主な登場人物(第一弾の白金学院3年D組や第二弾の黒銀学院3年D組の生徒)が不良の記号的にセミ短にストレートのスラックスを着用した。一方で、学生服の上衣のボタンを留めずにブレザーの様に襟元を広く見せるように着こなし、中に着るカッターシャツTシャツトレーナーパーカーなどのインナーウェアや、髪型・身に着けるアクセサリーといった、別の部分のファッションにこだわる様子が描かれていた。

2010年代に入って、制服の着崩しは「ちょいゆるめ」が流行した。下着が見えるほどの「腰パン」ではなく、股上の浅いズボンと見間違う程度の「ちょい下げ」や、シャツの襟元を第2ボタンまで開けるなど、今の特徴は「さりげないおしゃれ」だという。なお、中学2年男子は、「金髪?ボンタンズボン?そんなんいないし、やったら笑われる」と話し、40代教員は、「ツッパリやルーズソックスなど、派手な格好はなくなった。非行や反抗という意味でも、ファッションという面でも、あまり自己主張しなくなった」という声が紹介されている[34]

2011年に行われた調査では、女性が年代が下るにつれ(スカート丈など)制服を着崩していた割合が多くなり20代が79.6%と最も多いのに対し、男性では基本的に年代が上になるにつれ制服を着崩していた割合が高くなる傾向にあり、50代以上が54.9%と最も多かった。このことを見ても、男子生徒について着崩す文化は減衰傾向にあることがわかる[29]
着こなしの文化と流行

古くは旧制高等学校を中心にバンカラを象徴するスタイルとして、制帽や学生服、マントなどを故意に破ったり、油や、を塗って不潔にする、光沢を出すなど「粗末なもの」「ボロいもの(あえてボロくしたもの)」を好んで着用する破帽弊衣と呼ばれる文化が存在した。これは当時のエリート階級である高校生が、「人間の価値は外見ではなく中身である」というテーゼを主張するために行ったデモンストレーションの一種であると考えられる。こうした傾向は進学成績などが優秀でプライドの高い一流校ほど顕著であり、現在でも一部の旧ナンバースクールなどでは伝統として受け継がれている例も見られる。

また、昭和30年代以前の学生服に既製品は少なく、基本的に全てオーダーメイドであり、標準型といった統一基準も無かったため、仕立屋や個人の好みによって一般的な学生服のデザインにある程度の個性的なデザインを追加することも既に一部では行われていたようである。こうした変形制服の歴史は戦前の職業軍人たちの間にも見られ、特に大正から昭和初期の青年将校文化華やかりし時代には、軍規に抵触しない範囲内で服地の色調や品質、ディテールやシルエットの優美さなどを競い合っていたといわれている。それらの流れが敗戦を挟んで昭和30年代以降加速し、一部の不良等に着用されたラッパズボン・マンボズボン・スカマン等の個性の強い改造・変形学生服に繋がったといえる。

おおまかに変形学生服の流行の変遷をたどるならば、上衣においては1970年代が、長ランにハイウエスト・ドカン、1980年代前半がセミ短にボンタン、1980年代後半?1990年代が極短にボンタン、1990年代中盤?中ランにスケーターであり、現在の流行は短ブレにスケーターであるとされている[35]。80年代のファッションの変化について、゛硬派″を信条とするツッパリから異性を意識した゛モテたい″ツッパリを意識するようになったといわれている[36]。いうまでもなく、一つの傾向であり、これとは異なる流行の変遷があった地域も多い。

なお、1981年発売の横浜銀蝿によるセカンドシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll (登校編)」で、「ヨーラン」「ドカン」という歌詞があることから、この当時でも長ランにドカンのスタイルが、ツッパリの間で一定の人気を得ていたことが推測できる。

しかし、『俺たちの好きなBE-BOP-HIGHSCHOOL―ツッパリ青春漫画の傑作と80年代ヤンキー伝説(別冊宝島)』(宝島社、2003年)を参照すると、「古くは70年代の『花の応援団』で描かれる異常に丈の長い長ランは男の証だったが、実際にこれを着ていたのは本当に応援団ぐらいのものであった。BE?BOP世代である80年代、ヤンキーマインドにヒットしたのは中ランか短ランである」とされている。ただし、『BE-BOP=HIGHSCHOOL』の主人公二人は、トオルが丈90cmの長ラン、ヒロシが丈60cm前ボタン4つのコンポラであって、シンペーの長ランに対し「当時、かなり憧れるヤツも多かった」という文言もあり1980年代に完全に長ランが衰退したわけではないものと推測される(以上、pp. 70?71)。ズボンについては、「80年代の主流の筆頭は、やはりボンタンだろう。『わたり』といわれる太股の部分が太くなっており、これでスソが絞ってあればボンタンスリム、通称『ボンスリ』となる。」「ヤンキーズボンは流行の変遷こそあれ種類は豊富で、古き伝統を持つ『ドカン』、ヒザを太くした『バナナ』などがあったが、当時のヤンキー人気はボンタンからボンスリへと向かっていた。ワタリはどんどん太く、スソはますます細くな」ったとされている。ここでは、1980年代はボンタンの興隆が懐述されている。しかし、ここで紹介されるヒロシやトオルのズボンはワタリ38cmスソ25-26cmと、それほど変形度の強いボンタンではない(以上、pp. 72?73)。

また、1988年9月号から連載が開始された漫画「今日から俺は!!」において、三橋貴志が短ラン+ボンタン、相棒の伊藤真司が長ラン+ドカンという対照的ないでたちで登場するように、1980年代後半は流行の移行期にあたるとも考えられる。一方で、湘南地方の高校付近を実地調査したところ「短ランと細身のズボンが主流」と述べる記事もあった[37] ように地域差等もあって断定することは難しい。

1990年代中盤以降、脱変形学生服化が進む中でも詰襟ホックボタンをかけずに胸襟を開けたままにしたり、校章名札を装着しなかったり、B系ブームの影響などもあり腰パンスタイルや標準型の中でもサイズの大きなスラックスを選ぶなど、軽微な着崩しを行う学生は一般的に存在する[19]。なお腰パン等によって、裾を引きずることにより磨耗が生じ綻ばせた状態を「裾ボロ」とも呼ぶ。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:155 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef