孤独
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社会信号の認知能力は、訓練や他者とのコミュニケーションの頻度を上げることなどで向上する可能性はある。

ドロセア・オレムセルフケア不足看護理論では、普遍的セルフケア要件として「孤独と社会的相互作用の維持」が挙げられており[4]、片方を集中や排除するのではなく、両者のバランスが重要とされる。
宗教的な境地と孤独

古今東西の宗教の修行者、求道者のなかには、聖なる何かに近づくためにあるいは聖なる精神状態へ入るために、腐敗している人間社会とは一旦距離を置く必要を感じ、そのために意識的に人間関係を断ち意識的に孤独を選ぶ人がいる。

新約聖書マタイマルコルカのいずれにもイエス・キリスト荒野で40日間さまよった(そして悪魔からの誘惑をしりぞけた)と書かれている。(なお聖書には人間社会というものは腐敗している、神の考えからすっかり逸脱してしまっているということがかなりはっきりと書かれている)。また聖アントニウスも孤独の中で聖性を得た。あるいはアッシジのフランチェスコなどもみずから意識的に、腐敗した人間社会を避け孤独を主体的に選びとり、自然の中に生き太陽や草木を友として生きることで自然の創造主であり万物の創造主と聖書に書かれているヤハウェのみわざやアガペーを自分の身で直接的にありありと感じることができた。そうして聖性を得たフランチェスコを目の当たりにした人々が彼を慕って周囲に集まるようになり、やがて大きなうねりとなり、結果として教皇までも動かすほどのうねりを引き起こしカトリック教会の改革にも貢献した。

キリスト教で神と直接につながるために隠者・隠修士となることを自ら選びとるという流れはその後も、人数的には多くはないものの、脈々と続いている。後代のキリスト教神秘主義者も少なからず孤独を選びとっている。20世紀でもギリシア正教会の一部の修道士は、他の信者と接触もとらず、たったひとりで、ギリシアの山の中の小さな庵、ベッドひとつしか家具がないような庵に籠り、ひたすらに聖書の神に祈り神を身近に感じる生活を生涯つらぬいている人々が少数ながらいる(ここ数十年のNHK取材によるドキュメンタリー番組などでも、そうした修道者の生活の様子が放送されたことがある)。

インドでは、何らかの精神的な境地にたどりつくために、人々から離れて瞑想修行を重ねたり、あるいは苦行に励む伝統があり、シャカ族の王子だった釈迦牟尼も、当時の苦行者たちを見て、自身もそうした修行を行ったあと、菩提樹の下で一人で居たときに悟りを得たとされ、そうして社会に戻り仏教を説き始めた(初転法輪)。初期の仏教に限らず、現在の日本の禅宗でも他者とだらだらと会話をするようなことおしゃべりをするようなことはできるだけ避けて、ひたすら「座る」つまり座禅を組んで自分自身の心を観ずるという修行を行う。またインドでは孤独な修行を選ぶ伝統が現在も脈々と続いており、インドでは一旦仏教がすっかり廃れてしまったので現在ではたいていはヒンドゥー教の修行者という形だが、かなりの人数の人々が孤独な修行を行っている。

日本では、修験道山伏といわれる行者が山に籠もる修行が知られているほか、中世には西行卜部兼好などにより『徒然草』といった文学作品が生み出され、隠者文学と呼ばれている。

オーストラリアのアボリジニの中では、人生も終わりに近づいた老人が一人になり、瞑想生活に入る。彼らは「ドリームタイム」といった神秘体験をするという[5]
哲学や文学と孤独

人間の精神性において、孤独は必ずしもネガティブなものという訳ではない。ドイツ哲学者マックス・シュティルナーが「孤独は、知恵の最善の乳母である。」という格言を残しているように、孤独状態において人間は自分の存在などについて考えること(→哲学)を強いられ、その結果、創造性、想像力などにつながると多くの哲人は結論付けた。このような精神の働きは心理学の側面から昇華と呼称され、文化芸術における創作活動では、それから生み出された作品が数多く存在する。この中には、寂寞とした心理を表現したものから、より高次の存在を表したもの、または孤独によって増した愛情を更に濃密に描き出したものなどがある。

フランスの哲学者エマニュエル・レヴィナスは、「主体の孤独とは、そもそも主体が救いの手を差しのべられることなく存在している、という事実ではなくて、主体が自分自身の餌食として投げ出されている、自分自身のうちに引きずり込まれている、ということなのである[6]」と述べている[注釈 1]


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