存在論
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彼の宇宙ないし自然に対する見方はソクラテス以前の哲学者のそれと決定的に異なっており、これがアリストレスに受け継がれていくことになった。
アリストテレスアリストテレス(紀元前384年 - 紀元前322年

アリストテレスは、存在への問いを明確に立て体系化した最初の人物である[2]。彼は、「論理学」をあらゆる学問成果を手に入れるための「道具」(organon)であるとした上で、その学問体系を、「理論」(テオリア)、「実践」(プラクシス)、「制作」(ポイエーシス)に三分し、理論学を「自然学」と「形而上学」、実践学を「政治学」と「倫理学」、制作学を「詩学」に分類した。アリストテレスによれば、形而上学は存在するものについての「第一哲学」であり、始まりの原理についての知である。すなわち、存在者のさまざまな特性を問う個別科学とは区別され、その上位に位置づけられる究極の学問として、「存在者である限りでの存在者」、「全体としての存在者」、すなわち「存在とは何か」を問う学問を構想し、これを「第一哲学」と呼んだ。

アリストレスは、まず、道具である論理学において、「述語」(命題「PはQである」というときの「Qである」にあたる)の種類を10のカテゴリに区分し[3]、次いで、形而上学において、存在者を多義的なものであるとして、存在をカテゴリに従って10に分類した。

パルメニデスは、存在を当時の通念に従って完全な「球体」であり、それは「一つ」であるとしたが、アリストテレスは、それを比喩にすぎないとして、現実の個物を実体とし、「多様」な存在をカテゴリに従って分類し体系化した。

アリストテレスは、その著書『形而上学』において、有を無、無を有と論証するのが虚偽であり、有を有、無を無と論証するのが真であるとした。そこでは、「有・無」という「存在論」が基礎にあり、これを「論証する」という「判断」が支えている。そこでは、存在論が真理論と認識論とに分かちがたく結び付けられている。

彼の学問体系は、その後、トマス・アクィナスらを介して古代・中世の学問体系を規定することとなったが、そこでは、認識論的な問題は常に存在論と分かちがたく結び付いていた。そのため、形而上学の中心的な問題は、近代に至るまで常に存在論であった。

アリストテレスは、質料が形相と結び付いて、その可能性を実現して目的を達成することを「デュナミス」と「エネルゲイア」ないし「エンテレケイア」の概念を区別することによって行なったが、中世のスコラ哲学では、この区別が、「○○が何であるか」という「本質存在」(essentia)と、「○○があるかないか」という「事実存在」(existentia)の区別として概念化され、「本質存在の優位」が説かれるようになった。これらは○○という事実にイデアないしエイドスという本質が優先するという考えである点で共通しており、いずれも神によってモデルに従って制作ないし創造された宇宙・自然という見方と繋がっている。アリストテレスは、プラトンのイデア論を厳しく執拗に批判したが、その肝要部分は決して手放していないのであった。
中世
アンセルムスアンセルムス(1033年 -1109年

アンセルムスは、理性によって神の存在を証明しようとした[2]。彼の神の存在証明は、『プロスロギオン』の特に第2章を中心に展開されたもので、おおよそ以下のような形をとる。
神はそれ以上大きなものがないような存在である。

一般に、何かが人間の理解の内にあるだけではなく、実際に(現実に)存在する方が、より大きいと言える。

もしもそのような存在が人間の理解の内にあるだけで、実際に存在しないのであれば、それは「それ以上大きなものがない」という定義に反する。

そこで、神は人間の理解の内にあるだけではなく、実際に存在する。

トマス・アクィナストマス・アクィナス(1225年頃 - 1274年

トマス・アクィナスは、アリストテレスの存在論を承継しつつも、その上でキリスト教神学と調和し難い部分については、新たな考えを付け加えて彼を乗り越えようとした。

彼は、アリストテレスの「形相?質料」(forma-materia)と「現実態?可能態」の区別を受け入れる。アリストテレスによれば、存在者には「質料因」と「形相因」があるが、存在者が何でできているかが「質料因」、その実体・本質が「形相因」である。存在者を動態的に見たとき、潜在的には可能であるものが「可能態」であり、それが生成したものが「現実態」である。「形相?質料」は主に質量を持つ自然界の存在者に限られるが、「現実態?可能態」は自然界を超越した質量を持たない形相のみの存在者にまで及ぶ。すべての存在者は可能態から現実態への生成流転の変化のうちにあるが、すべての存在者の究極の原因であり、質料をもたない純粋形相が「神」(不動の動者)と呼ばれる。

しかし、トマスにとって、神は、万物の根源であるが、純粋形相ではあり得なかった。旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節で、神は「私は在りて在るものである」との啓示をモーセに与えているからである。そこで、彼は、アリストテレスの存在に修正を加え、「存在?本質」(esse-essentia)を加えた。彼によれば、「存在」は「本質」を存在者とするため「現実態」であり、「本質」はそれだけで現実に存在できないため「可能態」である。「存在」はいかなるときにおいても「現実態」である。神は、自存する「存在そのもの」であり、純粋現実態である。

人間は、理性によって神の存在を認識できる(いわゆる宇宙論的証明)。しかし、有限である人間は無限である神の本質を認識することはできず、理性には限界がある。もっとも、人間は神から「恩寵の光」と「栄光の光」を与えられることによって知性は成長し神を認識できるようになるが、生きている間は恩寵の光のみ与えられるので、人には信仰・愛・希望の導きが必要になる。人は死して初めて「栄光の光」を得て神の本質を完全に認識するものであり、真の幸福が得られる。


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