字通
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字源は体系的に、字群によって証明されることを要すると白川は主張する[14][15][16][17][18]
五十音順の配列

『説文解字』では、9,353字にのぼる文字を六書の法で分け、部首による分類法を採用した。そのためその後の日本中国の字書はこの部首法を用い、それをさらに分け入るにあたって画数順を適用し、長らくこの字引スタイルは変化していない。白川が字書をつくるにあたって、まずもって一新しようとしたのはこの点であった。白川は、「日本の現行の字書の配列はほとんどが部首法を踏襲している。この部首法は一種の便法として中国で用いられているものに追随しているにすぎず、国語としての漢字を扱う上からいっても、必ずしも適当な形式ではない。国語の語彙としてはその字音を用いるのであり、日本の字書が部首法によるべき理由はない。(趣意)」と述べ、本書では、漢字を国字国語とする立場から五十音順配列の方法を採用している。そして、字音は呉音唐宋音のように区別があるときは、最も一般的な音に従っている。巻末には、字訓索引・総画索引・部首索引も用意している[19][20]
部首法の欠点
「与」の部首が臼(𦥑)部であるように、部首が判じがたい場合がある。この例では「与」が「與」の略体であり、かつ、「與」は、「与」と「𦥑」(きょく)と「廾」(きょう)とに従う字であるという知識を要する。しかし、「輿」は車部に分類されており、「興」と「擧」は臼部である。よって、概ねのところは暗記する必要があった[21][22]
読む字書
白川は、「本書は五十音順の字書であるから、別に定まった読み方があるわけではない。引きたい字を引けばよいわけだが、本書はまた読んでほしい字書である。なるべく体系的に読んでほしい。大項目の
百科事典のように使ってほしい。」という。そして、五十音順の配列は、その体系的な読み方を容易にする。それは、「声近ければ義近し」という王念孫訓詁学上の原則によって証明される。白川は、「なるべく同音・近似音のところをまとめて読んでほしい。おそらくいろいろと発見されるところがあるはずだ。」と述べている[23][24]
転注について
本書の同音の字を見てゆくと、白川が説くところの
転注に気づく。転注とは漢字の構造法である六書の中の一つで、『説文解字』に「建類一首、同意相受く」と規定している。が、その意味があまり明らかでなく、研究者の間にもまだ一致した解釈は得られていない。白川は、「意符を主とする文字系列によって、字の構造をみようとするものであろう。」と解釈している。例えば、「ふくらんだもの」を畐といい、これを要素とする字に、偪(せまる)・副(そう)・幅(はば)・輻(車の矢)などがある。また、「ひとつながりに連なったもの」を侖といい、倫(兄弟など、なかま)・淪(さざなみ)・綸(より合わせたつりいと)・輪(車の並んだわ)などがある。このように畐や侖を要素とする字に一貫した意味が与えられているというような関係の字を転注と解釈することができる。これらの字は部首法の上からはそれぞれの部に属し、それ自身の系列を示すことはない。六書の中で他にこのような関係の字を一類とする規定がないからである。「同意相受く」という転注法によってその系列を回復する。また、畐の系列は畐(フク)を音符とし、侖の系列は侖(リン)を音符としているように、同じ音符をもつ多くの字がその音符のもつ意味と音とを共有するという関係が転注である。よって、五十音順の配列は、部首法によって永い間分散していた転注による系列を顕現する[25][26]
収録字

本書の収録した親字の総数は5,478字、副見出しとして示した字をも含めた見出しの総数は7,037字である。字数としては一般の中字典が約10,000字前後を収めるのに対してそれよりやや少ないが、国語の語彙として用いられる字はもとより、中国の文献を読むのに必要な基本的な字はほとんどこのうちに含まれている[3][27]
国字政策への提言」の金文の形[28]「犬」の篆文

白川は、「いまの略字表・音訓表にみられるような国字政策上の無原則は、不合理を極めたものであると思う。この重大な決定がどのような学問的、また歴史的研究の基礎の上になされたものであるかについて、それを問う必要があると考える。(趣意)」という。そして、「『字統』は、漢字民族である中国の文化に奉仕するために書いたものではない。漢字を国字として用いるわが国の国字政策に寄与することを念頭において、その研究を進めたものである。『字統』によって国字政策の全体がその正しい文字知識の上に推進されてゆくことを切にねがうのである。(趣意)」と述べている[29][30][31]
犬の意味
古代中国では、は非常に嗅覚が鋭いために呪力をもつ大切な動物とされ、生贄として特に貴いものとされた。「」を要素とする字が数多くあるが、日本ではこのような「犬」のもつ意味を理解しないまま「大」に変更してしまい、そのため「戻」「器」「臭」「類」などは、文字としての一貫した体系性を失ってしまったのである。例えば「戻」は旧字では「戸」と「犬」を合わせた「戾」であった。「戸」は家の出入り口のこと。家の出入り口の下に生贄の「犬」を埋めて、地中の悪霊を祓う字が「戾」である(悪霊の入ることを拒否することから「もどる、いたる」の意味に用いる)。「大」は手足を広げて立つ人の正面形を表す文字で、「犬」の右上の点は犬の特徴である耳を表し、その点をつけることで「犬」と「人」を区別していた。

このような変更をしてしまったのが戦後の当用漢字、それを引き継いだ常用漢字である。どのような議論を経てこのような文字の変更が行われたのか、白川は国に問い合わせたが、「当時の資料は何も残っていないので分からない。」というのが国の返事であった[32][33]
遊字論
「遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。」の書き出しで知られる「遊字論」において、白川は常用漢字の堕落を解説している(「神の顕現」より一部分を抜粋)。遊とは動くことである。常には動かざるものが動くときに、はじめて遊は意味的な行為となる。動かざるのものは神である。神隠るというように、神は常には隠れたるものである。それは尋ねることによって、はじめて所在の知られるものであった。神を尋ね求めることを、「左右してこれを求む」という。
は左手にの形をした呪具をもち、は右手に祝詞を収める器の形である(さい)をもつ。左右の字をたてに重ねると、となる。神が隠れ住むとき、その隠れ蓑にあたるものが、呪具の工であった。隠れるときにも尋ねるときにも、その呪具が必要であった。隠の本字は隱である。隠れるとは、神が呪具の工によって「み身を隠したまう」形である。常用漢字表の制定者は、この神隱る神の姿から、隱身の呪具である工を奪うて顧みることがない。神はうつつなくもその現身(うつしみ)をあらわして、羞じらう姿を露呈する。これは字遊びである。字遊びは、かつては神聖な神の、自己顕現の方法であった。いまや神と人とは、その位置をかえている。現代の文明における遊びのように、それは堕落し果てた虚妄の遊びである[34]
文字解釈例」の甲骨文(工具の形。呪具(呪術の道具)としても使われた。「」はを持って神の所在をたずねる字である[35]

本書の文字解釈は経典の伝統的訓詁から出発し、青銅器銘文の出典、典故を得て、経典の訓詁を新しく読み直している。しかし、訓詁における思惟の形式自体は崩されることなく説解が行われている[36]。以下、本書の文字解釈の例(一部分を抜粋)を記す。

口(コウ・ク・くち)、象形の形。『説文』二上に「人の言食する所以なり」という。卜文・金文にみえる字形のうち、口耳の口とみるべきものはほとんどなく、おおむね祝?(しゅくとう)・盟誓を収める器の形である(さい)の形に作る。従来の説文学において、口耳の口に従うと解するために、字形の解釈を誤るものは極めて多く、(後略)[15]


工(コウ・ク・たくみ)、象形、工具の形。『説文』五上に「巧飾なり」と訓し、人が規(きく)をもつ形で、と同意であるとするが、巫は呪具としての工をもつ形であるから、巫とは関係がない。(後略)[15]


左(サ・ひだり・たすける)、会意、ナ(さ)とに従う。ナ(さ)は左の初文で、左手の形。『説文』五上に「手相左助するなり」という。左の手に工をもつ形が左。(後略)[37]


尋(ジン・たずねる・つぐ・ひろ)、会意、に従う。左と右の両字を上下に組み合わせた形。左右は神を祀るときの動作を示す字で、(中略)左右の手でたどりながら、神の所在を尋ねることを尋という。(後略)[38]


右(ユウ(イウ)・ウ・みぎ・たすける)、会意、又と口とに従う。又は右手の形。口は(さい)で、祝?を収める器の形。


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