子門真人
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SPNでは西友ファミリー劇場のミュージカルのプロデュースを担当した[13]1986年に退職[14]。退職理由は部長(管理職)に就任することで制作現場から遠ざかることを懸念したこと、ミュージカル制作に挑戦する意向があったことによる[14]。同年芸能界に復帰し[14]1987年に再びフリーの歌手に転向。同年『ひらけ!ポンキッキ』の「動く図鑑コーナー」の挿入歌「はたらくくるま2」が話題になる[15]。相前後して、テレビアニメ『マシンロボ クロノスの大逆襲』主題歌「勝利のマシンロボ」で、久しぶりにアニメソングを収録。

1990年代には『Aランクサンダー 誕生編』『究極戦隊ダダンダーン』などのゲーム主題歌や、ラジオ番組『青春ラジメニア』のテーマソングを手掛け、1989年10月10日「第2回青春ラジメニアファンの集いin堺」、1991年3月27日「青春ラジメニアファンの集い」、1992年3月26日「青春ラジメニアファンの集い」の公開収録の場でアニメソングを披露している。1993年頃に再び芸能界を引退したとされている[16][17][18]

1997年から2003年にかけて、ベストアルバム『子門真人ヴォーカルコンピレーション』シリーズがリリース。当初は日本コロムビアバップの2社による合同企画であったが、後にポニーキャニオンソニー・ミュージックエンタテインメントが参加し、4社から計8枚のアルバムがリリースされた。複数の会社にまたがって発売されたものの、ジャケットのデザインは(色が違うだけで)統一されている。なお、第1弾である<赤盤>と<青盤>の名称はビートルズのベストアルバムの通称に由来[7]する。

また上記シリーズとは別に、ベストアルバムとして2010年にポニーキャニオンより『子門真人 ベスト・コレクション』が、2015年に日本コロムビアより『ベスト・オブ・ベスト 子門真人』がリリースされている。

引退後の1995年に日本テレビ系のバラエティ番組『あの人は今!?』で出演依頼を受けるが、本人の意思により撮影拒否。番組では全てモザイク処理されており、子門の姿や肉声は放送されなかった。以後は公式にはマスメディアへの露出を一切していない[5]。2019年10月、TBS系『歌のゴールデンヒット』で紹介された際は居所がつかめず、司会の堺正章が「もしも子門さんがこの番組をご覧になっていたら、是非スタッフのほうにご連絡を頂ければ」と呼び掛けた[19]ものの、音信不通で、最終的には紙面を通じた捜査を依頼している[17][20]
人物・エピソード

3人兄弟の末っ子で兄と姉がいる
[11]

幼少時は引っ込み思案な性格であり、それを心配した母の勧めにより児童劇団「チャイム」に所属していた[6]。その際に劇団へ講師として訪れた菊池俊輔と対面している。後年再会した際に、子門は対面していたことを覚えていたが、菊池は失念していた[6]

高校2年生のとき、クラシックの声楽を学ぶ[11]が、当時はサラリーマンを目指しており、歌手になるつもりはなかった[11]。大学4年生のとき、忘年会でフォークソングを歌い、友人の勧めで歌手に興味を持ち始める[11]

熱心な日本聖公会クリスチャンであり、芸名の「子門(シモン)」も聖書に由来するとされ[21]、自身の洗礼名から名付けたという説もある[18][5]。彼がクリスチャンになったのは玉川大学在学時代である[11]

芸名の「真人」は中学生時代の友人の名前から拝借したものである[11]

アマチュア無線家でもある。自身が肝臓を傷め入院していた時期にアマチュア無線の免許を取得した[11]1978年発行の『アマチュア無線運用マニュアル』(電波新聞社)の表紙を大橋照子と共に飾っている[22]。コールサインはJI1KLK(1970年代時点)[11][22]

子門自身は歌手活動を副業と位置づけており、特定のレコード会社と専属契約を結ばなかった[5]。そのため作品は多数のレコード会社にまたがっており[5]、子門の活動には以下のような特徴がみられる。

上記の事情から楽曲の版権元も分散しており、「子門真人 ヴォーカル・コンピレーション」シリーズ発売以前ではベストアルバムの編集などが困難となっていた[23]

「子門真人」という名前の他にも様々な変名を用いて楽曲を発売しており、同じ歌をレコード会社によって「子門真人」「谷あきら」で歌い分けたこともある。別名義には藤浩一(デビュー当時の芸名)、谷あきら(主に円谷音楽出版在籍時に使用した芸名[23])、大安蓮、布川富美雄、司馬拳、ピーター・サイモン、サタンタなどがある。また、「椿もとみ」のペンネームでGSグループへの楽曲提供をしていた時期もある。

同時期に複数のレコード会社で活動することもあり、オリジナル音源の販売権を持たないレコード会社が独自にカバー音源を制作する際、子門を起用することがあった。中には子門自身がオリジナル版も歌っている例(「ガッチャマンの歌」「アイアンキング」「ジャンボーグA」など)や、同じ歌を複数のレコード会社でカバーした例もある。特に『ウルトラマンレオ』の主題歌は日本コロムビアキャニオン・レコード(現:ポニーキャニオン)CBS・ソニービクター音楽産業(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)の4社でカバーしている。


子門が主題歌を歌唱した『恐竜探険隊ボーンフリー』の登場人物「権田明」(初期案では「権田三郎」)は、子門が声優を務めることを前提に書き起こされたキャラクターであり[24]、子門自身がモデルとなっている[25]

仮面ライダー』などで造形を担当したエキスプロダクションレインボー造型企画の小松義人は小学校の同級生である[26]

楽曲に関するエピソード

代表曲「レッツゴー!! ライダーキック」は、1曲2万5,000円の
アルバイトで歌唱[15]したものであり、子門はCMソングの収録だと思って参加していた[4]。同曲は事前に主演の藤岡弘によって収録されていたが、日本コロムビアのディレクターであった木村英俊の判断により子門の歌唱でも録音された[27]。放映では当初藤岡弘が収録したテイクが使用されており、自分の歌が流れることを期待して放送を見た子門はしばらく呆然とし[23]、ひどく落胆したという[4][5][3][注釈 2]


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