子門真人
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デビュー曲「故郷の悲しき星/涙のギター」(両A面シングル)は1万枚を売り上げた[8]シングル盤5枚を出すが、ヒットに恵まれずに1年半後に引退する。1968年フジ音楽出版(現:フジパシフィックミュージック)に入社[5][3]。その後もスタジオヴォーカリストとして音楽活動自体は継続して行い、GSグループへの楽曲提供を行ったり、アルバイトとしてCMソングを歌っていた。

1971年、特撮テレビドラマ『仮面ライダー』の主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」(朝日ソノラマ制作)を歌唱[3]。同曲のEP盤は朝日ソノラマ日本コロムビアの競作となり、番組の爆発的な人気とともに130万枚[9][注釈 1]を超える大ヒットとなった。これを皮切りに子門は幾多のアニメソング・特撮ソングを歌い上げることになる。これらテーマソングは次々とヒットした[11][12]

1972年に円谷音楽出版に移籍(歌手ではなく社員雇用)[5][3]。楽曲管理の総責任者を務めるかたわら、『レッドマン』『トリプルファイター』『ジャンボーグA』『ファイヤーマン』など、円谷プロダクション制作の特撮テレビドラマ主題歌を多数手がける[5][3]

1975年、『ひらけ!ポンキッキ』内で発表された「およげ!たいやきくん」が大ヒット[3]オリコンチャートで史上初のシングルチャート初登場1位、11週連続1位を記録。翌1976年には第9回全日本有線放送大賞特別賞、第5回FNS歌謡祭最優秀ヒット賞を受賞し、子門の代表曲となった(詳細は「およげ!たいやきくん」の記事を参照)。これを機にテレビ番組に頻繁に露出するようになり、この頃のアフロヘアーと眼鏡という出で立ちが世間に印象付けられる[5]。続けて発売された「ホネホネロック」も大ヒット。

1980年西友ストアー主催のミュージカルである西友ファミリー劇場の『翔べイカロスの翼』に主演し、これが縁となり1982年、SPN(現:I&S BBDO)に課長待遇で入社[13]し芸能界を一時引退する。SPNでは西友ファミリー劇場のミュージカルのプロデュースを担当した[13]1986年に退職[14]。退職理由は部長(管理職)に就任することで制作現場から遠ざかることを懸念したこと、ミュージカル制作に挑戦する意向があったことによる[14]。同年芸能界に復帰し[14]1987年に再びフリーの歌手に転向。同年『ひらけ!ポンキッキ』の「動く図鑑コーナー」の挿入歌「はたらくくるま2」が話題になる[15]。相前後して、テレビアニメ『マシンロボ クロノスの大逆襲』主題歌「勝利のマシンロボ」で、久しぶりにアニメソングを収録。

1990年代には『Aランクサンダー 誕生編』『究極戦隊ダダンダーン』などのゲーム主題歌や、ラジオ番組『青春ラジメニア』のテーマソングを手掛け、1989年10月10日「第2回青春ラジメニアファンの集いin堺」、1991年3月27日「青春ラジメニアファンの集い」、1992年3月26日「青春ラジメニアファンの集い」の公開収録の場でアニメソングを披露している。1993年頃に再び芸能界を引退したとされている[16][17][18]

1997年から2003年にかけて、ベストアルバム『子門真人ヴォーカルコンピレーション』シリーズがリリース。当初は日本コロムビアバップの2社による合同企画であったが、後にポニーキャニオンソニー・ミュージックエンタテインメントが参加し、4社から計8枚のアルバムがリリースされた。複数の会社にまたがって発売されたものの、ジャケットのデザインは(色が違うだけで)統一されている。なお、第1弾である<赤盤>と<青盤>の名称はビートルズのベストアルバムの通称に由来[7]する。

また上記シリーズとは別に、ベストアルバムとして2010年にポニーキャニオンより『子門真人 ベスト・コレクション』が、2015年に日本コロムビアより『ベスト・オブ・ベスト 子門真人』がリリースされている。

引退後の1995年に日本テレビ系のバラエティ番組『あの人は今!?』で出演依頼を受けるが、本人の意思により撮影拒否。番組では全てモザイク処理されており、子門の姿や肉声は放送されなかった。以後は公式にはマスメディアへの露出を一切していない[5]。2019年10月、TBS系『歌のゴールデンヒット』で紹介された際は居所がつかめず、司会の堺正章が「もしも子門さんがこの番組をご覧になっていたら、是非スタッフのほうにご連絡を頂ければ」と呼び掛けた[19]ものの、音信不通で、最終的には紙面を通じた捜査を依頼している[17][20]
人物・エピソード

3人兄弟の末っ子で兄と姉がいる
[11]

幼少時は引っ込み思案な性格であり、それを心配した母の勧めにより児童劇団「チャイム」に所属していた[6]。その際に劇団へ講師として訪れた菊池俊輔と対面している。後年再会した際に、子門は対面していたことを覚えていたが、菊池は失念していた[6]

高校2年生のとき、クラシックの声楽を学ぶ[11]が、当時はサラリーマンを目指しており、歌手になるつもりはなかった[11]。大学4年生のとき、忘年会でフォークソングを歌い、友人の勧めで歌手に興味を持ち始める[11]

熱心な日本聖公会クリスチャンであり、芸名の「子門(シモン)」も聖書に由来するとされ[21]、自身の洗礼名から名付けたという説もある[18][5]。彼がクリスチャンになったのは玉川大学在学時代である[11]

芸名の「真人」は中学生時代の友人の名前から拝借したものである[11]

アマチュア無線家でもある。自身が肝臓を傷め入院していた時期にアマチュア無線の免許を取得した[11]


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