威徳王_(百済)
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^ 『三国史記』新羅本紀では、562年8月に伽耶諸国が反乱を起こしたことと、新羅の将軍の異斯夫・斯多含の前にすべて降伏したことを伝えている。
^ 昌王(威徳王)の丁亥年は567年に当たる。『三国史記』百済本紀や年表では丁亥年を王の14年としているが、先代の聖王の薨去は554年7月であり、立年称元であれば威徳王14年、踰年称元であれば威徳王13年となる。立年・踰年については改元を参照。
参考文献
『三国史記』第2巻 金富軾撰 井上秀雄訳注、平凡社〈東洋文庫425〉、1983 ISBN 4-582-80425-X
『日本書紀』伴信友校訂 岸田吟香他 1883年 (国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
表
話
編
歴
百済王(第27代:554年 - 598年)
温祚王前18-28 / 多婁王28-77 / 己婁王77-128 / 蓋婁王128-166 / 肖古王166-214 / 仇首王214-234 / 沙伴王234 / 古尓王234-286 / 責稽王286-298 / 汾西王298-304 / 比流王304-344 / 契王344-346 / 近肖古王346-375 / 近仇首王375-384 / 枕流王384-385 / 辰斯王385-392 / 阿?王392-405 / 腆支王405-414 / 久尓辛王414-429 / '"`UNIQ--templatestyles-00000009-QINU`"'毗有王429-455 / 蓋鹵王455-475 / 文周王475-477 / 三斤王477-479 / 東城王479-501 / 武寧王502-523 / 聖王523-554 / 威徳王554-598 / 恵王598-599 / 法王599-600 / 武王600-641 / 義慈王641-660
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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