帝国美術学校を中退し、1937年4月日活多摩川撮影所(後の大映東京撮影所)に撮影助手として入社[1]。同期には的場徹がいる。渡辺五郎の下で特撮カメラマンを経て、本編班に移り撮影監督デビュー。退社後は主に日活で活動した[3]。今村昌平や神代辰巳との仕事で知られている[3]。「戦後の日本映画を代表する撮影監督の一人」とされている[3]。 日本アカデミー賞を3度受賞した他[4]、1970年には『トラ・トラ・トラ!』でアカデミー賞撮影賞にノミネートされた[5]。
フィルモグラフィー
撮影
母紅梅(1949年)
壮烈神風特攻隊