「最古の姉妹都市」は、836年にはじまったパーダーボルン(現・ドイツ)とル・マン(現・フランス)との関係である、とされることがある[10]。これは、4世紀に活動したル・マン司教で、のちに列聖されたリボリウス (Liborius of Le Mans) の聖遺物がパーダーボルンの聖堂に分けられた縁によるものである。
近代的な姉妹都市の最初の事例として、1905年に英国ウェスト・ヨークシャーのキースリー (Keighley) がフランスのピュトーと結んだ「姉妹都市」関係が挙げられることもある。1920年に行われたキースリーとフランスのポワ・デュ・ノール (Poix-du-Nord) の提携が挙げられることもあるが、正式な盟約書は1986年まで交わされていない。
第二次世界大戦の惨禍は、ヨーロッパの人々に国境を越えた相互理解の重要性と、和解への努力の必要を知らしめることになり、戦後間もなくかつての敵国の都市との間に提携が結ばれるようになった[14]。たとえば、英国のコヴェントリーは、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}西ドイツのドレスデン[疑問点 – ノート]と姉妹都市関係を結んでいる。両都市は戦争中に大規模な空襲を受け、市民に多くの犠牲を出した都市である(このほか、コヴェントリーは戦争中の1944年にソ連のスターリングラード(現ヴォルゴグラード)と提携を結んでいる)。また、英国のブリストルは、英軍占領下のドイツ・ハノーファーに親善使節を送ったことを縁として1947年に姉妹都市となっている。1951年に設立された欧州地方自治体会議 (Council of European Municipalities and Regions) (CCRE-CEMR)はその主要事業として姉妹都市縁組を行っており、ヨーロッパ内の姉妹都市提携は1950年代に急激な増加を見せた[14]。1970年代には南欧諸国(ギリシャ・スペイン・ポルトガル)が民主化を果たし、これらの国々の都市との姉妹縁組も盛んに行われるようになった[14]。
戦後に分断された東西ドイツ間でも姉妹都市提携が行われた。旧東西ドイツ間の著名な姉妹都市としては、ハノーファーとライプツィヒ(大規模な見本市の開催地どうしの縁)、ドレスデンとハンブルクが挙げられる。1989年以降の東欧諸国の民主化は、西欧圏と東欧旧共産圏の都市間提携を活発化させた[14]。
ヨーロッパでの国際姉妹都市提携は、欧州連合(EU)によって支援されている。2003年には1300のプロジェクトに対し1200万ユーロが支出された。欧州地方自治体会議も、教育文化総合理事会 (Directorate-General for Education and Culture (European Commission)) と連携して、近代的で良質な姉妹都市関係を促進し、自治体交流の仲立ちをしている。
また、国際的な提携と市民交流の手法として、さまざまな市民団体や学校・病院・教会などを一対一で結びつける「リンキング」が盛んに行われている[15] アメリカでは、145ヶ国と姉妹提携を結ぶ全米の市、郡、州政府及び他国の自治体が直接加盟する全米国際姉妹都市協会(Sister Cities International
北米における姉妹都市
1893年のアメリカ合衆国ノースカロライナ州のニューバーンとスイスのベルンが「世界最古の姉妹都市」に挙げられることもある。もともとニューバーン(新ベルン)はベルンからの移民によって築かれた都市であり、従来からの人的交流の上にできた自然発生的な姉妹都市とも言える[11]。このほか、近代的な国際姉妹都市のはじまりとして、1931年に結ばれたオハイオ州のトレドとスペインのトレドとの提携が挙げられることもある
1944年にはカナダのバンクーバーがソビエト連邦ウクライナ共和国のオデッサと姉妹都市関係を結んだことが特記される。この提携は、第二次世界大戦中の支援政策を背景としたもので、港湾都市どうしの盟約であった。
第二次世界大戦後、荒廃したヨーロッパを市民の力で復興することを目標に都市間の提携が結ばれるようになった[11]。