珍しいものでは鳥取県境港市が1992年から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)江原道元山(ウォンサン)市と姉妹都市提携していた。国レベルの公式な外交関係がない北朝鮮の都市との友好提携はこれ1件であったが、2006年の北朝鮮(国レベル)による地下核実験表明後、境港市側から元山市側に対して「破棄」が通知された[33]。したがって、日本と北朝鮮との姉妹都市提携は現在は1件もない。
日本においては、一般財団法人自治体国際化協会交流支援部交流親善課が国際的な姉妹都市関係の情報提供や支援を行っている。 日本と海外との最初の姉妹都市提携は1955年12月7日、長崎県長崎市とアメリカ合衆国ミネソタ州セントポール市の間で締結された。アイゼンハワー大統領が「ピープル・トゥ・ピープル・プログラム」を発表して国際都市提携を提唱するのに先立つもので、米国にとってもアジアの都市との初の姉妹都市提携であった[34]。アイゼンハワー大統領提唱後、1956年に全米国際姉妹都市協会(Sister Cities International
歴史
1955年5月、ニューヨーク駐在の日本国際連合協会代表ウィリアム・G・ヒューズの斡旋によって折衝が始まり[35][36]、国際連合事務局から両市に勧誘状が出されて[35]、国連デー(10月24日)を期して結成式が行われた[37]。その後、12月5日に長崎市議会全員協議会が承認[35]、12月7日にセントポール市議会が議決して[35]正式に姉妹都市提携が締結された。提携の日付(セント・ポール市議会での議決の日)は日米開戦(真珠湾攻撃)の米国における日付であり、原爆投下地である長崎市との提携には、第二次世界大戦後の日米和平の象徴としての意味が込められていると解釈される[16]。
長崎とセントポールに次ぐ姉妹都市提携は、1957年3月の仙台市とリバーサイド(米国カリフォルニア州)、1957年7月の岡山市とサンノゼ(米国カリフォルニア州)である。初期の姉妹都市縁組の大半はアメリカ合衆国の都市との間に結ばれた。1959年末までに結ばれた27件の姉妹都市提携のうち、米国以外の都市との提携は6件のみである。米国以外の都市との初の提携は、1957年9月の倉敷市とザンクト・ペルテン(オーストリア)である。
1964年の日本人の海外観光渡航の自由化と東京オリンピックの開催を挟み、1960年代の終わりまでには146件の姉妹都市縁組(うち86件が米国)が結ばれ[38]、提携先も広がった。1961年にはソ連(当時)の都市との初めての姉妹都市提携を舞鶴市(京都府)とナホトカが結んでいるほか、1963年には南半球の都市と初の提携を大和高田市(奈良県)とリズモー(オーストラリア)が結んだ。南アメリカとの初の提携は1963年の珠洲市(石川県)とペロタス(ブラジル)、アジアの都市との初の提携は1964年に串本町(和歌山県)とヤカケント(トルコ)の間で結ばれている。1968年には国交正常化後間もない韓国の都市との初の提携を萩市(山口県)と蔚山市が結んでいる。
1970年代に入ると一般市民が提携先都市への訪問団に参加したり、学生交流やホームステイの相互受け入れが行われたりするようになった[39]。1972年に国交正常化が行われた中華人民共和国の都市との初の提携は1973年に神戸市と天津市との間で結ばれている。
1980年代に入ると、中国や韓国といったアジアとの姉妹都市提携が増加した[40]。また、1987年に始まった外国語青年招致事業(JETプログラム)は、多くの姉妹都市提携と国際交流の機縁となった。国際姉妹都市提携のピークは1992年で、年間に80件の新規提携があった[40]。
2000年代に入ると、自治体の財政難のために国際交流に関する予算が削減されたり、合併により休眠状態の提携が解消されたりする事例もあり、姉妹都市数の増加は頭打ちとなっている[40]。 前述のように、鳥取県境港市と北朝鮮・元山市の姉妹都市提携が、北朝鮮の核実験を理由に破棄されたほか、国レベルの政治的な問題で交流事業が中断されるケースは少なくない。2001年の歴史教科書問題と小泉首相の靖国神社参拝[41]、2005年の竹島問題[42]の際、日韓の自治体交流事業、姉妹都市間での学校や民間団体の交流事業が中止されるケースがあった[注釈 2]。
問題点・提携解消