姉妹都市
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「友好都市」よりも密接な関係として「姉妹都市」を位置づける

といったように、運用もまちまちである。全米国際姉妹都市協会では米国国内での sister cities(姉妹都市)と friendship cities(友好都市)の相違について、たいていの場合「姉妹都市」と「友好都市」との違いはないが、違いのある場合には「姉妹都市」に比べて範囲の限られた交流に「友好都市」が使われる傾向がある、としている[9]
歴史

地理的・政治的に隔たった都市と都市との提携関係は古くからある。「最古の姉妹都市」として、中世の836年までさかのぼるパーダーボルン(ドイツ)とル・マン(フランス)が挙げられたり[10]1893年ニューバーン(アメリカ)とベルン(スイス)が挙げられたりするが[11]、今日的な意味での姉妹都市運動がはじまるのは第二次世界大戦以後である。先述のパーダーボルンとル・マンも、1967年に近代的な姉妹都市として正式な書面を交わしている。

第二次世界大戦後の国際的な姉妹都市の活動には2つの潮流があるとされる。ひとつはヨーロッパ内において敵対した国との関係修復のためにはじまった運動、もうひとつはアイゼンハウアー米大統領が提唱した「市民と市民(ピープル・トゥ・ピープル)プログラム」(people-to-people program)である[11]。このことがきっかけで「全米国際姉妹都市協会」が創設された。いずれも大戦による荒廃を出発点として、国境を越えた市民間の交流を行い、相互理解を深めることで世界平和に寄与することを目標としている[11][12]
姉妹都市の運用
提携相手の選定

姉妹都市の提携先の選定にあたっては、地理的環境・人口・面積・自然環境・産業など都市の類似性がきっかけになっている場合と、産業や個人の仲介等の縁やつながりがきっかけになっている場合に大きく分かれる[3]。日本の国土交通省が国際姉妹都市交流を行っている日本国内の自治体に対して行ったアンケートによれば「姉妹都市提携の契機」としては「共通項(自然、歴史など)の発見」がもっとも多く、次いで「紹介(第三者からの紹介やアドバイス、推薦など)」「来訪(市長など)」「市民交流(草の根交流など)」などの順になっている[13]

都市の類似性

地理的環境の類似性

パース鹿児島市(南緯32度と北緯32度[3]


産業の類似性

ポートリンカーン室戸市(マグロ産業[3]



産業のつながりや個人的仲介など

産業的なつながり

ホバート市と焼津市(遠洋漁業の寄港地[3]


個人の仲介

ノーザンビーチ(旧マンリー)と台東区[3]



自治体統廃合と提携

日本国内では平成の大合併があるほか、海外でも市町村合併がある。姉妹・友好提携している市町村の一方が合併で姿を変えた場合、たいていは提携の継続を決めるが、まれに提携解消に至ってしまうこともある。例として、2006年10月、奈良県生駒市と兵庫県豊岡市は、当初の提携町である竹野町が合併し豊岡市となったことを理由に、友好都市提携を解消した。
姉妹都市間の交流内容

文化交流

姉妹都市となった双方の都市での記念公園の設置、幼稚園や学校での絵画の交換や展示
[3]


教育交流

学生の交流、教師の派遣、学校間での文通[3]


スポーツ交流

親善試合や交歓試合の実施、選手団の受け入れ[3]


イベント参加

文化使節団、博覧会への出展など[3]


人的交流

農業関係者や医師などの交流[3]


地方自治体職員交流

公共事業などの専門的知識の交換[3]


動物交換

両都市にある動物園や野鳥園での動物交換[3]


ヨーロッパにおける姉妹都市ドレスデン(当時東ドイツ)とハンブルク(西ドイツ)の市長による交流協定締結(1988年)。グロース=ゲーラウ(ドイツ)の姉妹都市モニュメント。

「最古の姉妹都市」は、836年にはじまったパーダーボルン(現・ドイツ)とル・マン(現・フランス)との関係である、とされることがある[10]。これは、4世紀に活動したル・マン司教で、のちに列聖されたリボリウス (Liborius of Le Mans) の聖遺物がパーダーボルンの聖堂に分けられた縁によるものである。

近代的な姉妹都市の最初の事例として、1905年に英国ウェスト・ヨークシャーのキースリー (Keighley) がフランスのピュトーと結んだ「姉妹都市」関係が挙げられることもある。1920年に行われたキースリーとフランスのポワ・デュ・ノール (Poix-du-Nord) の提携が挙げられることもあるが、正式な盟約書は1986年まで交わされていない。

第二次世界大戦の惨禍は、ヨーロッパの人々に国境を越えた相互理解の重要性と、和解への努力の必要を知らしめることになり、戦後間もなくかつての敵国の都市との間に提携が結ばれるようになった[14]。たとえば、英国のコヴェントリーは、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}西ドイツのドレスデン[疑問点ノート]と姉妹都市関係を結んでいる。両都市は戦争中に大規模な空襲を受け、市民に多くの犠牲を出した都市である(このほか、コヴェントリーは戦争中の1944年にソ連のスターリングラード(現ヴォルゴグラード)と提携を結んでいる)。また、英国のブリストルは、英軍占領下のドイツ・ハノーファーに親善使節を送ったことを縁として1947年に姉妹都市となっている。1951年に設立された欧州地方自治体会議 (Council of European Municipalities and Regions) (CCRE-CEMR)はその主要事業として姉妹都市縁組を行っており、ヨーロッパ内の姉妹都市提携は1950年代に急激な増加を見せた[14]。1970年代には南欧諸国(ギリシャ・スペイン・ポルトガル)が民主化を果たし、これらの国々の都市との姉妹縁組も盛んに行われるようになった[14]

戦後に分断された東西ドイツ間でも姉妹都市提携が行われた。旧東西ドイツ間の著名な姉妹都市としては、ハノーファーライプツィヒ(大規模な見本市の開催地どうしの縁)、ドレスデンハンブルクが挙げられる。1989年以降の東欧諸国の民主化は、西欧圏と東欧旧共産圏の都市間提携を活発化させた[14]

ヨーロッパでの国際姉妹都市提携は、欧州連合(EU)によって支援されている。2003年には1300のプロジェクトに対し1200万ユーロが支出された。欧州地方自治体会議も、教育文化総合理事会 (Directorate-General for Education and Culture (European Commission)) と連携して、近代的で良質な姉妹都市関係を促進し、自治体交流の仲立ちをしている。

また、国際的な提携と市民交流の手法として、さまざまな市民団体や学校・病院・教会などを一対一で結びつける「リンキング」が盛んに行われている[15]
北米における姉妹都市

アメリカでは、145ヶ国と姉妹提携を結ぶ全米の政府及び他国の自治体が直接加盟する全米国際姉妹都市協会(Sister Cities International)が全米統括し、国際姉妹交流支援。


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