大阪教育大附属高校池田校舎時代からバンド活動を始める(ベース担当)。後輩に伊藤銀次がおり、当時ビートルズのコピーバンドで、ベースを弾きながら歌えた人間は少なかったとの証言がある。中央大学商学部に入学し上京。フォークソング研究会に入る。中大フォー研在籍時、サニー・テリー、ポール・バターフィールド、ミシシッピ・ジョン・ハートなどを知り、ハーモニカに興味を持ち、その後黒人ブルースとハーモニカにのめり込んで行く。1972年、B.B.キング来日時には前座で出演。1973年、西新宿にあったmagasine No.1/2でのライブアルバム『Live in magazine No.1/2』に参加。「ジン・ハウス・ブルース」を録音。1974年9月、「レイジー・キム・ブルース・バンド」「オフ・ザ・ウォール」を経て「ウィーピング・ハープ・セノオ&ヒズ・ローラーコースター」を結成。同年、久保田麻琴と夕焼け楽団のレコーディングセッションに参加。
1976年8月、1stアルバム『メッシン・アラウンド』を発表。内田勘太郎、近藤房之助、尾関隆など日本の第一線のブルース・ミュージシャンが結集したこのアルバムは、ブルース・アルバムとしては予想を大きく上回る好セールスを記録。翌1977年、2ndアルバム『ブギ・タイム』を発表。渡辺香津美、村上秀一、泉谷しげるなど、1stアルバム同様豪華なミュージシャンたちを迎え、自作曲も発表した。その後も精力的に活動し、全国のライブハウスを行脚。様々なコンサートなどを企画。また、自らハーモニカ教室も開き、後進の育成にも力を注いでいる。
週刊モーニングの連載マンガ「Hey!!ブルースマン」(山本おさむ)には尾崎龍太郎として登場している。
2008年、西濱哲雄との「てっちゃんせのちゃん」、森園勝敏(ex四人囃子)、塩次伸二(ウエスト・ロード・ブルース・バンド)らとのユニットで精力的に日本をツアーしている。
2017年12月17日22時10分、胃癌と腸閉塞のため入院していた、淀川キリスト教病院(大阪市東淀川区)で死去[1][2]。 68歳没。
2018年 生前の功績を讃え、有志によるお別れの会「ブルースをよろしく!ありがとう妹尾隆一郎」が東京・京都・大阪で開かれた。
アルバム[ソースを編集]
妹尾隆一郎[ソースを編集]
『メッシン・アラウンド』(ビクター・フライングドッグ)
『ブギ・タイム』(ビクター・フライングドッグ)
以上2枚はPヴァインでCD化の後、ビクターから紙ジャケットで再発。
『ONE MORE MILE』(BLACK BOX INC.)
ローラーコースター[ソースを編集]
『ザッツ・ナッシング・ニュー』(VIVID Sound)
『キープ・イット・アップ』(VIVID Sound)
『ブギー・ディスカウンター』(VIVID Sound)
『サムシング・フォー・リトル・ウォルター』(VIVID Sound)
『キープ・オン・ゴーイン』(Pヴァイン)
BLUES FILE[ソースを編集]
『ブルースファイル遊び足りない子どもたちへ』(Airplane)
『Hey!BluesMan』
『ライヴ・イン・ヒロサキ』
Seno-Tera[ソースを編集]
『ワン・モア・マイル』(マイルストーン)
デイブレイク[ソースを編集]
『デイブレイク』(ラジオシティ)※フュージョン・バンド
V.A.[ソースを編集]
『Year! The Blues』(ビクター/近藤房之助 他)
(加筆中)
「My Last Meal/ I'm Still In Love With You」(Year)
※ピクチャーシングル(ローラーコースター、吾妻光良、チャールズ清水)
・『Live in magazine No.1/2』(限定500枚自主制作)
教則ビデオDVD[ソースを編集]
ベーシック・ブルースハープ
プロフェッショナル・ブルースハープ
ブルース・ハープ・ベーシック・フレージング
ブルースハープの常套句
(いずれもリットー・ミュージック)
参加レコーディング・参加セッション[ソースを編集]
共演・録音[ソースを編集]
サザンオールスターズ「ラチエン通りのシスター」
泉谷しげる
B'z
かまやつひろし
上田正樹
ビートたけし
桑名正博
オーティス・ラッシュ
憂歌団
吉田美奈子「朝は君に」
山口百恵「ロックンロールウイドウ」
久保田真琴
プリンセスプリンセス
ウエスト・ロード・ブルース・バンド
もんたよしのり
パンタ
中山美穂「Midnight Taxi」
伊藤銀次『DEADLY DRIVE』(1977年5月25日 (1977-05-25))
「King Kong(キング・コング)」
ヴィーナス・ペーター『BIG "SAD" TABLE』(1993年6月25日 (1993-06-25))
「トリップマスター・モンキー The Tripmaster Monkey」
「ストレイ Stray」
サウンドトラック[ソースを編集]
大都会 PARTII
カウボーイビバップ
おジャ魔女どれみ
シュアリー・サムデイ
(加筆中)
外部リンク[ソースを編集]
妹尾隆一郎公認サイト2018 - https://sites.google.com/view/skikue/
本人が収集した動画 - https://www.youtube.com/@honeysucklerose919
本人のYouTubeチャンネル(他の人により維持管理されている) - https://www.youtube.com/@RealWeepingHarpSenoh
脚注[ソースを編集]^ a b c “ブルースハーモニカの第一人者・妹尾隆一郎さん死去”. 朝日新聞 (2017年12月22日). 2017年12月22日閲覧。
^ .mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}Sta [@naclbbr] (2017年12月21日). "我が父であり、ブルースハープの第一人者である妹尾隆一郎が、胃がんと腸閉塞による闘病生活の末、感染症のため淀川キリスト教病院にて17日22時10分に息を引き取りました。68歳。". X(旧Twitter)より2022年10月19日閲覧。