妖怪
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寺社縁起として製作される絵巻がある一方で、御伽草子をはじめ娯楽性の高い絵巻も登場。妖怪は娯楽の対象になり始めていく。例えば妖怪退治の物語は妖怪に対する人間世界の優位性を強調しているとも言える[13]

酒呑童子絵巻』(鬼)、『是害坊絵巻』(天狗)、『俵藤太絵巻』(大蛇、百足)、『土蜘蛛草紙絵巻』(土蜘蛛)、『道成寺縁起絵巻』(大蛇)といった従来からの主要な妖怪にまつわる絵巻

『北野天神縁起絵巻』では人であった菅原道真が鬼の姿をした雷神になり人を襲うも、最後は祀られ神に転じる[13]

『十二類絵巻』、『玉藻の草子』(玉藻前)、『藤袋草子絵巻』()といった動物達の変化にまつわる絵巻

大切にされず捨てられた器物達に精霊が宿って妖怪となり人間たちに悪さを企てるが出家・成仏をする『付喪神絵巻

多様な妖怪が勢ぞろいし行進を行う様子が描かれる『百鬼夜行絵巻』(ここでの百鬼夜行の妖怪たちの姿は平安時代のものとは異なったものと考えられている)

このように、古代では文章でしか語られてこなかった妖怪は中世においては絵と物語で次々に視覚化されていった。また、御伽草子には浦島太郎、一寸法師といった昔話として現代においても馴染み深い物語も見られる。

これら絵巻物や芸能(能・浄瑠璃)を通じた娯楽の場に描かれる妖怪たちの要素は主として公家・寺社などが主体となっていたものであったが、室町・戦国時代を経て武家から町人にも文化の拡大と共にひろまってゆき、江戸時代初期と地つづきになっている。
江戸時代「新形三十六怪撰」『おもゐつづら』:月岡芳年 (明治25年)コレラの蔓延を死神に例えた挿絵:ル・プティ・ジュルナル

延宝5年(1677年) - 『諸国百物語』が出版される。多くの変化、ばけ物などの話を収録。

宝永6年(1706年) - 『御伽百物語』 が出版される。「宮津の妖」(巻1)や「雲浜の妖怪」(巻4)など、収録のいくつもの妖怪の話が、中国の小説集などに見られる話を日本を舞台に翻案[24]

正徳2年(1712年)- 中国の類書三才図会』を元に寺島良安が『和漢三才図会』を編纂成立。

正徳6年(1716年) - 用語の解説集である『世説故事苑』の中に「妖怪」の解説があり、「吾が俗の言い伝える怪事(俗に怪事を誤ってケチと言う)の類多し。鼬(いたち)の鳴き、狐の吼える、鼠の騒ぐ、鶏の宵、鳴烏の声、烏の屎衣を汚す、或いはの声を作(な)すの如きの類なり。此の類、渉世録に出だして、この妖怪祓う術見えたり、本據とすべし。」とある[25]

天明8年(1788年) - 北尾政美による黄表紙『夭怪着到牒』が出版。妖怪図鑑の体裁をとった草双紙であるが、その巻頭には「世にいふようくわいはおくびょうよりおこるわが心をむかふへあらわしてみるといえども…」(世に言ふ妖怪は臆病より起こる我が心を向こうへ表わして見るといえども)とあり[26]、これはこの時代からすでに妖怪の実在性を疑問視していた人がいたことを示している。

中世において妖怪は飢饉や疫病、戦乱といった凶事と関連して語られていたが、それが江戸時代において人々の間に広く流布して浸透していき、次第に身近な問題として結びつけられて、「神仏からのメッセージ」として私事化していった[27]。それによって、時にはパロディも生み出されるようになる[28]

例えば百物語のような怪談会が流行する中、語り手がまだ世間には知られない未知の怪談・妖怪を求めた結果、中国の白話小説を翻案したり、翻案を他の伝承や物語とミックスしたり、妖怪を創作するという事例も散見されるようになる。翻案された中国の話には『剪灯新話』など日本で翻訳ずみであった作品もあるが[29]、直接原文から翻案されたものも見受けられている[24]

さらに浮世絵などの画題としても妖怪は描かれた。有名な妖怪を描いた画家に葛飾北斎歌川国芳月岡芳年河鍋暁斎などがいる。また、土佐派狩野派などの画家によって絵巻物や絵手本として『百鬼夜行図』などの妖怪絵巻も江戸時代以降、盛んに描かれた。

印刷・出版技術の発展とともに、出版文化が発達していき、草双紙(赤本・黒本・青本・黄表紙[注釈 1]・合巻)や読本など創作作品の題材にも妖怪は盛んに用いられた[30]。それらの書籍を扱う「貸本屋」の普及や利用により、庶民の中で各々の妖怪の様相が固定し、日本全国に広がっていった。たとえば河童に類する妖怪は江戸時代以前には、日本全国に多くの様相や解釈があったが、書籍の出版によって、現在にも通ずる「河童」のイメージが固まっていった[31]。古文献や民間に伝承された妖怪とは別に、駄洒落や言葉遊びなどで、この時代に創作された妖怪も多数存在し、現在でいえば妖怪辞典のような位置づけであろう鳥山石燕画図百鬼夜行』(1776年)シリーズや真赤堂大嘘『選怪興』(1775年[32]森羅万象『画本纂怪興』(1791年[33]に描かれている妖怪はその一例である。そうして創作された妖怪の中には傘化け豆腐小僧などが現在も知られている[34]

江戸時代後期には、かるたすごろく立版古など児童向けの玩具に類する出版物の図柄にも妖怪が使われていた。


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