如月_(睦月型駆逐艦)
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第一次攻略部隊のおもな戦力は、攻略部隊司令官梶岡定道第六水雷戦隊司令官、攻略部隊本隊/第六水雷戦隊(旗艦:軽巡洋艦夕張」、第29駆逐隊第1小隊《追風疾風》、第30駆逐隊《睦月、如月、弥生望月》)、第十八戦隊(司令官丸茂邦則少将:天龍龍田)、輸送船2隻(金剛丸金龍丸)等である[18]

12月11日午前3時、ウェーク島守備隊は南の水平線上に船影を発見、指揮官ウィンフィールド・カニンガム(英語版)中佐、ジェームズ・デベル(英語版)海兵隊少佐は船影を日本艦隊と判断する[19]。巡洋艦にアウトレンジ砲撃されることをおそれた2人は、日本艦隊が十分接近するまで砲撃を控えるよう命令した[19]。攻略部隊は自分達が待ち伏せされている事に全く気付いていなかった[20][21]

12月10日夜半にウェーク島へ到着した攻略部隊は上陸舟艇をおろそうとしたものの、外洋の強風と波浪により失敗した。梶尾攻略部隊指揮官は各艦に対地砲撃と揚陸準備を指示、「疾風、如月」はウェーク島南部の砲撃を命じられる[22]。12月11日、戦闘は軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)の艦砲射撃ではじまった[23]。約1時間の砲撃ののち、日本軍輸送船団は上陸部隊の展開をはじめる[20]。現地時間午前6時15分(日本時間と約2時間違う)、ウェーク島南東ピーコック岬のA砲台は距離5100mで「夕張」に発砲[20]。同艦は4時12分に煙幕を展開して退避、同時に退却命令を出す[24]。ビール島のB砲台は「睦月、弥生」と交戦し、2隻を撃退した[25]。ウェーク島西側のウィルクス島に秘匿されていたL砲台は「天龍、龍田」の砲撃に耐え、距離6300で単縦陣の駆逐艦3隻に発砲する[20][26]。直撃を受けた「疾風」は轟沈、さらにF4F戦闘機が空襲を開始した[27]

米軍の予期せぬ反撃と「疾風」の轟沈により、攻略部隊の駆逐隊は大混乱に陥った[28]。日本艦隊はクェゼリンへの退却を開始したが、100ポンド(約45kg)爆弾2発を搭載したF4Fワイルドキャット戦闘機4機(第211海兵戦闘飛行隊 ポール・A・パットナム少佐)の追撃と反復攻撃を受ける[29]。パットナム少佐は日本軍機がいないことを確認すると、部下機に「降りていって、パーティの仲間入りをしようじゃないか」と呼びかけた[29]。米軍機は魚雷や爆雷の誘爆を狙っていたとみられ[30]、燃料弾薬補給をくりかえして合計9回の出撃をおこなった[29]。まず比較的大型の軽巡3隻(夕張、天龍、龍田)が爆撃と機銃掃射を受ける。4時43分、F4Fは「夕張」に爆撃を行ったが失敗した[31]。18戦隊(天龍、龍田)は5時10分?5時30分の間に数回の空襲を受け、至近弾と機銃掃射で死傷者数名を出した[32][33][34]

5時37分、「如月」はウェーク島ピーコック岬の南でF4Fワイルドキャットの機銃掃射AN/M2 12.7mm機銃)を受け、投下された100ポンド爆弾1発が命中[35]魚雷(資料によっては爆雷)が誘爆、艦橋と二番煙突の半分とマストを吹き飛ばし、しばらくすると艦は二つ折れになって[36]、5時42分に爆沈した[37]。「天龍」主計長によれば、艦橋が吹き飛んだ「如月」はしばらく異様な姿で航行したあと、姿が見えなくなったという[38]。同様の光景は「追風」(如月より左舷前方約2000m)からも目撃された[36]。同時刻には「弥生、睦月」も爆撃され[39]、ほかに「追風、金剛丸、哨戒艇33号」も機銃掃射や命中弾で損傷を受けた[40][41]。米軍の戦死者1名、負傷者4名、被弾したF4Fワイルドキャット1機が不時着修理不能(搭乗員無事)[29]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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