奴隷解放宣言
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戦争中、主人のもとから逃避し、連邦の境界線内に逃げ込んだ奴隷たちは、連邦側にある専用の収容所に留まることとなった。その後、奴隷解放宣言が発布されたときには、もう彼らは自由だということを告げられ、収容所から解放された。

ジョージア州の海岸の近くに浮かぶシー・アイランドは、戦争開始の直後、連邦軍が占拠した。南軍の白人の兵士たちは後にその島から逃げたが、黒人の兵士たちはそこに残り、自給自足で生活した。奴隷解放宣言が発布されたときには、連邦海軍の将校たちが彼らにそれを読んで聞かせ、彼らがもう自由であることを伝えた。

軍隊の中では、奴隷解放宣言に対する意見が分かれた。納得できないとして反抗する兵隊たちもいた。これによって、軍隊を後にした兵隊たちもいた。その他では、この宣言が発布されたことに感動した兵士たちの中では、「合衆国と自由のために」というモットーを掲げはじめる部隊もあった。

南軍にとっては、奴隷たちは重要な「戦争のエンジン」の一部だった。奴隷たちは、食糧をこしらえたり、兵士たちの制服を縫ったり、線路を修理したり、農場工場鉱山で働いたり、防御用の壁を建てたり、病院などで労働したりした。連邦側に吸収されてからは、南部の地域中に、100万部もの奴隷解放宣言のコピーが行き渡り、さらに噂でも解放宣言のことが奴隷たちの間で広まり、その結果、数多くの奴隷たちが主人のもとを後にするきっかけとなった。
国際的な影響

奴隷解放宣言によって、海外諸国は、奴隷制を廃止しようという米国の新しい取り組みを賞賛した。これにより、南部連合が、英国アイルランドなどの海外諸国から「一つの主権国家」として承認される可能性は消滅した。ヘンリー・アダムスは、「奴隷解放宣言は、歴史上の全ての戦勝や外交を足し合わせたものよりも、偉大なものを私たちにもたらしてくれた」と、解放宣言をたたえた。
南北戦争後

南北戦争が終結する直前、共和党の奴隷制度廃止派は、奴隷解放宣言が軍事的な指令であるなら、戦争が終結すると同時に無効になるのではないかと心配した。また彼らは、宣言によって解放される奴隷たちだけでなく、米国全土の奴隷たちの解放を確実なものにしたいと焦っていた。

そのため、リンカーンは、国民統一党(英語版)から出馬した1864年大統領選挙のための選挙運動では、アメリカ合衆国の全ての奴隷を解放する憲法修正条項案をアピールした。メリーランド州ミズーリ州の各州で新たに奴隷制度が廃止されたことで、リンカーンの選挙運動は助長された。メリーランド州の新しい憲法は1864年11月1日に公布され、州の奴隷制度を廃止していた。

民主党候補のジョージ・マクレランを破り再当選したリンカーンは、第39回目の議会が開会するのを待たず、前期から残っていた第38回目の議会に、直ちに新しい憲法修正条項案を承認させた。1865年1月31日、米国の議会は各州の議会に、米国内と領土内の全ての奴隷制を禁止する、米国憲法第13修正を提出した。同年12月6日までには、修正条項が採択される条件を満たす数の州から承認されていた。実際に修正条項が採択された頃には、ケンタッキー州のみがまだ解放されていない奴隷たちがいる州であった。
関連項目

ゲティスバーグ演説

アフリカ系アメリカ人公民権運動

外部リンク

U.S. Library of Congressより資料(英語)

奴隷解放宣言原文(英語) - ウェイバックマシン(2000年12月12日アーカイブ分)

『奴隷解放宣言』 - コトバンク










南北戦争

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