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女子高生コンクリート詰め殺人事件
場所 埼玉県三郷市戸ケ崎(拉致現場)[判決 1]
東京都足立区綾瀬(監禁・殺人現場)[判決 1]
東京都江東区若洲(遺体発見現場)[判決 1]
日付1988年(昭和63年)11月25日夕方 - 1989年(昭和64年)1月5日
日本標準時 (UTC+9)
概要不良少年グループが通りすがりの女子高生を拉致して輪姦し、その後40日以上にわたって監禁して集団で暴行・強姦を行った[判決 1]。
監禁から約40日後、加害者少年らは少女に集団リンチを加えて死亡させて遺体をコンクリート詰めにし、東京湾に遺棄した[判決 1]。
攻撃手段拉致、暴行、強姦
攻撃側人数主犯4人、他3人が暴行に加わり1人が監禁の監視役
死亡者女子高生1人(事件当時17歳)
犯人A(当時18歳)
B(当時17歳)
C(当時16歳)
D(当時17歳)
動機強姦目的
対処逮捕・起訴
謝罪第一審最終弁論にて4被告人がそれぞれ謝罪・反省の言葉を述べた[1]。
賠償主犯格・少年Aの両親が自宅を売却し、補償金5,000万円を被害者遺族に支払った[2]。
刑事訴訟懲役刑(最大で懲役20年)
影響発覚当初から加害者少年らを死刑・無期懲役などの厳罰に処するよう求める声が相次いだ。
事件発覚直後に発売された『週刊文春』が、少年法への問題提起として加害者少年らを実名報道し物議を醸した。
本事件の加害者少年の1人(本文中B)は刑務所を出所後、2004年に三郷市逮捕監禁致傷事件を起こした。
週刊誌の報道に触発される形で、ネット上で本事件の加害者や事件関係者の実名や行方を突き止めようとする動きが勃発する中で、事件とは無関係な人物をも標的にされ、お笑いタレント・スマイリーキクチが、長年に渡り同様のデマ被害を受け続けた(スマイリーキクチ中傷被害事件)。
管轄警視庁綾瀬警察署・東京地方検察庁
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女子高生コンクリート詰め殺人事件(じょしこうせいコンクリートづめさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に発生した猥褻略取誘拐・監禁・強姦・暴行・殺人・死体遺棄事件の通称である。
1988年11月25日夕方に埼玉県三郷市戸ケ崎を自転車で走行していた被害者女子高生(事件当時17歳)が突然、不良少年グループに拉致され、約40日間にわたってグループのたまり場だった東京都足立区綾瀬の加害者宅に監禁されて暴行・強姦を受け続けた。
1989年(昭和64年)1月4日に被害者の女子高生は加害者グループから集団リンチを受けて死亡し、その遺体はコンクリート詰めにされて東京都江東区内の東京湾埋立地に遺棄された[判決 1]。
1989年(平成元年)3月以降、別の強姦事件で逮捕された加害者少年らが事件を自供したためにその事件の全容が判明した[3][4]。
刑事裁判における事件番号は第一審・東京地方裁判所では平成1年(合わ)第72号[判決 1]、控訴審・東京高等裁判所では平成2年(う)第1058号である[判決 2]。
本事件は非常に残忍・凶悪な少年犯罪として日本社会に大きな衝撃を与え、加害者少年宅に被害者少女が長期間監禁されていたにも拘らず、その加害者の両親も含めて少女の命を救えなかった点に激しい非難・疑問の声が上がった[5]。また、昭和最後の凶悪犯罪(発覚した年月は1989〈平成元〉年3月)である。 本事件の刑事裁判で犯行への関与が認定され有罪判決を受けたのは、いずれも犯行当時「少年」の4人(A・B・C・D)である[判決 1]。この4人の少年たち(A・B・C・D)は足立区内の同じ中学校出身の先輩・後輩関係で、いずれも1988年夏頃には在学していた高校を中退・離脱して、監禁・殺害現場となった足立区綾瀬地区の周辺で無為な不良行為を続けていた[判決 1]。 加害者少年C宅の2階には監禁・殺害現場となった少年Cの部屋、及びCの兄(本文中G)の部屋がそれぞれあった。Cの家庭は両親が共働きでいつも帰宅が遅かった上、Cによる家庭内暴力が激しかったことからCの両親はCをあまり監督していなかった。 そのため、事件当時、Cの部屋は不良少年たちの溜まり場となっていた[判決 1]。 1988年8月以降、加害者少年Bと加害者少年CはCの兄Gを通じてつながりを持ったことをきっかけにCの部屋を中心に不良交友を始めた[判決 1]。
加害者