女子美術大学付属高等学校・中学校
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1917年 - 鏡友会が発足(同年6月25日)[3]。
1919年 - 第三代学校長に浜 幸次郎が就任[4]。
1928年 - 菊坂校地の老朽化と狭隘化により新校地を豊多摩郡和田堀町和田に取得(同年6月)[5][6]。
1935年 - 杉並校地が落成し和田本町(現在の和田)へ移転[5]。菊坂校地は私立佐藤高等女学校専用校地となる[5]。「梅」「松」「桜」の3学級に「竹」を追加し4学級体制となる[7]。
1940年 - 第四代学校長に土田忠二が就任[8]。
1943年 - 私立向島高等女学校の廃校により佐藤高等女学校第三学年と第四学年にそれぞれ生徒50名を受け入れる。「菊」を追加し5学級体制となる[9]。
1944年 - 第五代学校長に加藤成之が就任[10]。
1945年 - 空襲により菊坂校地が全焼。私立佐藤高等女学校は杉並校地へ移転[5]。
1947年 - 学制改革により新制佐藤中学校開設(同年4月)。「先生と父母の会」(PTA)が発足(同年10月1日)[11]。当初の会員は430名。名誉会長に加藤成之が就任。
1948年 - 学制改革により新制佐藤高等学校開設(同年3月)。
1949年 - 第六代学校長に佐藤達次郎(大正10年から昭和19年まで私立女子美術学校長)が就任[12]。
1951年 - 佐藤高等学校・中学校を女子美術大学付属高等学校・中学校へ改称。
1954年 - 桑沢洋子デザインのフレアスカート・リボン型制服を採用(同年4月より)[13]。
1957年 - 第七代学校長に加藤成之が再就任(女子美術大学長を兼任)[10]。
1960年 - 長野県軽井沢町に「軽井沢寮」を開設。女子美術大学創立60年記念祭を挙行(同年10月29・30・31日)。
1962年 - 杉並校地6号館(旧・付属校舎、現・芸術学部校舎)が3月に落成し、同年5月26日に竣工式を挙行。
1963年 - 中学校各学年2クラス(計6クラス)353名と高等学校1・2年各5クラス(計10クラス)、高等学校3年3クラス710名を合わせ19クラス・1063名を収容。
1964年 - 「東京都高等学校生徒急増対策」の実施に伴い高等学校を16クラス体制とし、計22クラス・1200名を収容。「楓」を新設(3年間のみ)[9]。
1967年 - 「東京都高等学校生徒急増対策」の終了に伴い21クラス・1150名へ減員[14]。
1971年 - 第八代学校長に小串辰子が就任(同年1月)[15]。
1976年 - 付属アトリエ校舎(現・9号館)が落成[16]。
1980年 - 女子美術大学創立80周年記念式典挙行。女子美術大学八十年史を発行[16]。
1986年 - 第九代学校長に古川成太郎が就任[16]。
1989年 - 第十代学校長に美術史家の永井信一(女子美術大学名誉教授)が就任[16]。
1990年 - 女子美術大学創立90周年記念式典挙行。
1991年 - 第十一代学校長に市川三千代が就任[16]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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