女だけの都
従軍司祭:ルイ・ジューヴェ(中曽根雅夫)
町長の娘:ミシュリーヌ・シェイレル(フランス語版)(池田昌子)
ヤン・ブリューゲル:ベルナール・ランクレ(フランス語版)
受賞
1935年、フランス・シネマ大賞
1936年、ヴェネツィア国際映画祭監督賞
1936年、ニューヨーク批評家協会外国映画賞
1937年、キネマ旬報外国映画ベストテン第1位
備考
ヤン・ブリューゲルは、ピーテル・ブリューゲルの第二子。
この頃のフランドルは、スペイン領ネーデルラントの一州としてスペインに支配されていた。そして1540年、カール5世(スペイン王としてカルロス1世)に遠征され、鎮圧された史実がある。
オリバーレス伯爵またはオリバーレス公伯爵は実在した(ガスパール・デ・グスマン、1587年 - 1645年)。
その他
撮影は、パリ北郊の、エピネー=シュル=セーヌ(Epinay-sur-Seine)のオープンセットで行われ、当時のルーブル美術館長が時代考証を監修したという。
この映画の英語名は『フランダースのカーニヴァル』(Carnival in Flanders)である。また製作のトビス社は、フランソワーズ・ロゼー以外の俳優を入れ替えたドイツ語版を製作し、『賢い女たち』(Die klugen Frauen)の題名で翌年に公開した[2]。
ベルギーのフランドル地方では、「父たちを臆病者に、母たちをふしだら者に描いた」という上映反対運動が起こり、フェデーとスパークは故国への反逆者呼ばわりされた。
1939年、ナチス・ドイツはこの映画の上映を禁じ、翌年ベルギーに侵入した。
脚注[脚注の使い方]^ “劇映画「女だけの都」―フランス映画1935年作品―”. NHK. 2022年7月31日閲覧。
^ [1]
外部リンク
賢い女たち
女だけの都 - 映画.com
女だけの都 - allcinema
⇒女だけの都 - KINENOTE
La Kermesse heroique - IMDb(英語)
表
話
編
歴
キネマ旬報ベスト・テン 外国映画ベスト・ワン
1920年代
巴里の女性/幌馬車(1924)
嘆きのピエロ(フランス語版)/バグダッドの盗賊(1925)
黄金狂時代(1926)
第七天国(1927)
サンライズ(1928)
紐育の波止場(1929)
1930年代
西部戦線異状なし/アスファルト(ドイツ語版、英語版)(1930)
モロッコ(1931)
自由を我等に(1932)
制服の処女(1933)
商船テナシチー(1934)
最後の億万長者(フランス語版、英語版)(1935)
ミモザ館(1936)
女だけの都(1937)
舞踏会の手帖(1938)
望郷(1939)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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