経理部を経て興業部にいたとき、 升本喜年プロデューサーに出会う[5]。升本はメロドラマや文芸映画、喜劇映画と言った健全路線にある松竹では珍しく、安藤昇と組んで『血と掟
』や『男の顔は履歴書』といったヤクザ映画を作っていた松竹内では異色のプロデューサーで、当時はテレビ部にいたが、升本の口利きでテレビ部に移り[5]、『火曜サスペンス劇場』などを手掛けた[5]。大船撮影所が傾き、独立採算で切り離されて松竹撮影所製作部が升本と奥山の二人で発足され[6]、1981年撮影所付きの映画プロデューサーとなる[5]。