奥屋熊郎
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1936年4月、奥屋の企画による「新歌謡曲」放送後、局内の議論の結果「国民歌謡」と改題し、同年6月1日より放送を開始[3] [4]。のちに奥屋自身も作詞を手掛けた。

1943年7月、NHKを去って東京へ移り、日本放送出版協会常務取締役に就任。

1949-1951年、同社代表取締役社長。1964年11月14日、脳溢血のため神奈川県鎌倉市材木座の自宅で死去[2]
参考文献

大森淳郎
NHK放送文化研究所『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』(2023年・NHK出版

脚注^ 『大衆人事録 近畿篇』(帝国秘密探偵社、1940年)兵庫46頁
^ a b 『放送教育』第19巻第10号・通巻190号(日本放送教育協会、1965年1月)p.61
^ 戸ノ下達也『ラジオ放送の音楽?國民歌謡からラジオ歌謡へ?』第1回 『國民歌謡』の誕生(東京書籍)
^ 奥屋「国民歌謡」の創造運動」(日文研大衆文化プロジェクト編『日本大衆文化論アンソロジー』(2021年、太田出版)所収、初出「放送」1936年7月号)

関連項目

日本放送協会


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