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西遼の奚族はしだいにイスラーム化していった。13世紀以降、奚族の民族的活動は史書に見られなくなった。
習俗

遊牧狩猟民族であり、他の遊牧騎馬民族同様、黒羊を飼い、車上?帳暮らしで、移動しながら暮らしていた。また、不潔であるが射猟が得意で、略奪を好んだという。賦税はない[9]五代十国時代になると、農耕も兼業で行うようになる[8]
言語

魏書』列伝第八十八、『北史』列伝第八十二において「室韋の語は庫莫奚、契丹豆莫婁と同じ」とあることから、契丹語(中期蒙古語)と同じモンゴル系に属すと思われる。
地理

鮮卑故地(内モンゴル東部)に住み、東は契丹、西は突厥、南は白狼河、北は?と接した[10]
おもな君主
酋長


蘇支

可度者…李姓を賜る

奚王


匹帝(? -
661年

李大輔(? - 720年

李魯蘇(720年 - ?)…大輔の弟

李詩瑣高(? - ?)

李娑固(? - ?)

李梅落(? - ?)

李索低(? - ?)…李姓を賜る

去諸(? - ?)…東西に分裂する

掃剌(李紹威)(? - ?)…去諸の子、李姓を賜る

李?剌(? - ?)…李紹威の子

皇帝


回離保(1122年

脚注^ 『魏書』列伝第八十八、『周書』列伝第四十一 異域伝上、『隋書』列伝第四十九 北狄、『北史』列伝第八十二
^ 突厥文字。右から左へ読む。
^ 『魏書』、『北史』
^ 『新唐書』では「曹操に討たれた烏桓の後裔」としている。
^ 柔然突厥回鶻などにおける、各部族長に与えられた称号の一つ。
^ 『魏書』列伝第八十八、『周書』列伝第四十一 異域伝上、『北史』列伝第八十二
^ 『隋書』列伝第四十九 北狄、『北史』列伝第八十二、『旧唐書』列伝第一百四十九下 北狄、『新唐書』列伝第一百四十四 北狄
^ a b 『新五代史』四夷附録第三
^ 『魏書』列伝第八十八、『周書』列伝第四十一 異域伝上、『隋書』列伝第四十九 北狄、『北史』列伝第八十二、『旧唐書』列伝第一百四十九下 北狄、『新唐書』列伝第一百四十四 北狄
^新唐書』列伝第一百四十四 北狄

参考資料

魏書』(列伝第八十八)

周書』(列伝第四十一 異域伝上)

隋書』(列伝第四十九 北狄)

北史』(列伝第八十二)

旧唐書』(列伝第一百四十九下 北狄)

新唐書』(列伝第一百四十四 北狄)

新五代史』(四夷附録第三)

関連項目

烏洛侯

契丹

高句麗

室韋

粛慎

女真

地豆于

東夷

豆莫婁

夫余

渤海国

靺鞨

勿吉

モンゴル

?婁

沃沮

?

?貊

奚琴


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