2023年3月23日午後10時50分、肺炎のため、東京都内の病院で死去[3][8]。93歳没。生涯独身だった[4]。葬儀は同月26日に近親者のみで執り行われ、姪で劇団民芸演出家である丹野郁弓が喪主を務めた。なお、故人の意向によりお別れの会は執り行われなかった。 奈良岡は宇野重吉、杉村春子、石原裕次郎、美空ひばりの故人4人の名を挙げ、生前にメッセージを残していた[8][9][10]。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、未知の世界への旅?ちは何やら?が弾みます。 向こうへ着いたらすぐに宇野さん(宇野重吉)を訪ねます。もう?度あの厳しい演出を受けたいと?い間願ってきました。でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと?く?きて経験を積んできましたからね、昔のデコ(奈良岡の愛称)じゃないですよ。「デコ、お前ちっとましになったな」と?われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。杉村先?(杉村春子)とももう?度同じ舞台を踏みたかった。どんな役でもいいからご?緒したい。ワクワクします。両親に挨拶するのは?、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。それからは裕ちゃん(石原裕次郎)や和枝さん(美空ひばり)と思いっきり遊びます。これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。それでは??お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…—奈良岡朋子 宇野重吉に鍛えられ、滝沢修と文学座の杉村春子を師と仰いだ[4]。杉村とは1974年の舞台共演や『おんなの家』シリーズでの共演が縁となり、生涯にわたって実妹のようにとても可愛がってもらった。奈良岡は「杉村先生は文学座、私は劇団民藝と別の劇団でありながら、文学座の方たちに申し訳ないと思うくらい手取り足取り教えていただきました」と述べている[11][12]。杉村の生前時には「私のことは春ちゃんと呼んでいいのよ」とよく言われていたが、「恐れ多くも杉村先生に対してそのようなことは言えなかった」と語っていた[出典無効]。 美空ひばりとは美空の母公認の仲であり、愛称の「御嬢」ではなく、敬称を付けずに本名の「和枝」と呼べた唯一の大親友であった[11]。プライベートでも特に親交が深かったそうで、岸本加世子をひばりに引き合わせたのが太地喜和子と奈良岡である。1986年にTBS系(中部日本放送制作)のトーク番組だった『すばらしき仲間』の対談収録後に、奈良岡の自宅へ太地と岸本が訪問して、飲食前にサイドボードにひばりの千社札を貼った焼酎を見つけた太地が奈良岡に「御嬢へ連絡して今から会えないって誘ってみようよ」と話し、奈良岡がひばりの自宅に電話をかけて呼び出した後に、奈良岡と太地の元へ訪れたのがきっかけだった。その後、奈良岡と二人でひばりの楽屋へ訪問して交流が始まると、ひばりは岸本に『お姉ちゃん』と呼ばせて実妹のように亡くなるまで可愛がっていた。岸本自身も「ひばりさんには奈良岡さんの自宅で初めてお会いした日からお亡くなりになるまでの3年間の間、個人的に気に入られて大変可愛がっていただいた」とNHKのひばり特集の番組内や2023年7月のmagacolインタビューなどでたびたび語っている。 奈良岡とひばりが親友になったきっかけは、ひばりの出演番組に奈良岡がナレーションで参加後、ひばりの元へ花束を持って駆けつけたところ、お互い初対面だったがひばりが奈良岡の自宅へ今から訪問したいと言い出し、奈良岡が了承して当日の深夜まで自宅で飲食を楽しんだのが始まりだった。「泊まりたい」とひばりが言った後に「今日は帰宅しなさい」と奈良岡が注意して帰宅後の翌日にひばりの母親がお礼の電話をかけてきた会話内で「御嬢があなたのことを非常に気に入ったそうで御嬢を注意してくれる人も周りにはいないので、是非とも友達になってもらえないか。」と言われたが、奈良岡は「天下の美空ひばりとではなく一個人の加藤和枝とならお付き合いします。」との返事がきっかけとなりその後ひばりが亡くなるまで長年の交流になった[11]。 見込んだ相手と本音で付き合うことから広がり、八千草薫、池内淳子、草笛光子とはプライベートで「女の会」というグループを結成[11]。若尾文子、加藤治子、赤木春恵、乙羽信子、麻生美代子、山岡久乃、森光子との親交も深かった[11]。NHK連続テレビ小説『水色の時』で共演した大竹しのぶは実の娘のように接した[11]。 田宮二郎は実姉のように慕っており、自殺の際に奈良岡宛てに遺書を残している。 黒柳徹子ともデビュー時より長期間親交が深く[11]、定期的に『徹子の部屋』にも出演しているほか、父の作品を進呈したこともある。奈良岡が没した2023年7月31日放送分の『徹子の部屋』には劇団民藝の後輩の日色ともゑが出演し、先述の生前メッセージを朗読するなど奈良岡を追悼した[13]。 沢田研二の大ファンである。
交友関係
きっぷのよさから多くの芸能人に慕われ、交友関係が広かった[4][11]。石原裕次郎は「最も尊敬していた女優」として大先輩の奈良岡を挙げ[11]、藤堂俊介係長(ボス)役で出演していた石原が勇退した後の『太陽にほえろ!PART2』で篁朝子係長(ボス)役として出演し、共演もしている(192話「2・8・5・6・3」等)。ほか、木曜スペシャル枠で放送された『石原軍団INハワイ』にも石原軍団と同一待遇で出演している。
受賞歴
芸術祭賞奨励賞(1963年)
紀伊国屋演劇賞(1970年)
第8回放送批評家賞(ギャラクシー賞)(1971年)
菊田一夫演劇賞(1981年)
紫綬褒章(1992年)
勲四等宝冠章(2000年)
第10回日本映画批評家大賞功労賞(2000年)
第44回ブルーリボン賞助演女優賞(2001年)
第25回日本アカデミー賞優秀助演女優賞(2001年)
芸術祭賞大賞(2005年)
毎日芸術賞(2006年)
読売演劇大賞
優秀女優賞(2007年)
芸術栄誉賞(2016年)[14]
川崎市文化賞(2014年)
出演作品
映画
痴人の愛(1949年、大映) - 娘・初子 役
原爆の子(1952年、近代映画協会) - 咲江 役
混血児(1953年、蟻プロ) - 小野さん 役
縮図(1953年、近代映画協会)
女の一生(1953年、近代映画協会)
どぶ(1954年、近代映画協会)
東京の空の下には (1955年、日活) - 美容師のマサ子 役
ここに泉あり(1955年、中央映画) - 看護婦 役
狼(1955年、近代映画協会) - 十二号の看護婦 役
由起子(1955年、中央映画) - 女中・きく 役
こころ(1955年、日活) - 女中・粂 役
石合戦(1955年、民藝) - お君 役
病妻物語 あやに愛しき(1956年、民藝) - 妹澄代 役