夫婦別氏
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^ 滝沢は、明治民法では離婚すると「実家に復籍」するため旧氏に復する(739・746条)のに対し、ドイツ法では離婚しても当然には復氏しない、という差異があるとしている[311]。
^ スイス民法改正前第161条1で、「妻は夫の姓及び身分権を取得す」としている[312]
^ ドイツ民法1976年改正前第1355条で、「妻は夫の氏を称するものとす」としている[313]。
^ 岩田新は、明治初期、ほとんどドイツ法の情報は入っておらず、1877年に中江兆民がザクセン相続法を訳出した程度であった、としている[314]。
^ 梅は「妻は実家の氏を称すべきものとせりといえども、これみだりに支那の慣習を襲へるものにして我邦の家制の主義に適せず」としている[318] 。
^ 入夫婚姻の対象となる女戸主については、一部のフランス法派委員から認めない修正説も出たが退けられ、両当事者の意思表示があるときに継続が認められる規定(736条)が採られた[319][320]。
^ 小澤文雄によれば、当初は夫氏婚とする案にも反対はなかった。
^ 奥野健一によれば、日本人の意見を聴取する中で、三代戸籍は廃止し、夫婦の氏の自由化すべき、となった。
^ 中川善之助によれば、米国女性中尉より夫氏婚は日本国憲法第24条違反との指摘があり現行案となったが、日本側でも同様の修正は決まっていた[322]。
^ 中川は、新法は家族生活の保障を基本的人権の尊重に連なるものとして保護しようとした妥当な妥協的態度だったと評している[323][324]。
^ 熊谷開作はこれについて、女性の社会進出が進むに伴い妻の事情も考慮すべき必要が生じたため、としている[329]。
^ 中心となったのは佐々木静子参議院議員。吉田信一によれば、本来の目標は選択的夫婦別氏の導入だったとされる[30]。
^ 2023年6月時点で、東京都内でパートナーシップ制度のある22自治体のうち、2区が異性に対しても認めている。国立市では、パートナーシップ制度利用の約半数が、横浜市では約1/3が異性カップルだった[396]。
^ 1993年敗訴、1998年東京高裁で和解。
^ 後に和解
^ 「第一次夫婦別姓訴訟」と呼ばれる[528]。
^ 大橋正春(弁護士出身)、池上政幸・小貫芳信(以上検察官出身)、山本庸幸(行政官出身)、 寺田逸郎、千葉勝美、大谷剛彦、山崎敏充、大谷直人、小池裕の10名[446]。
^ 女性裁判官の3名は鬼丸かおる(弁護士出身)、岡部喜代子(民法学者)、桜井龍子(労働省出身)。男性裁判官2名は山浦善樹、木内道祥(以上弁護士出身)[446]。
^ 原告らはこの訴訟を「ニュー選択的夫婦別姓訴訟」と呼んでいる[541]。
^ 大谷直人、池上政幸、小池裕、木澤克之、菅野博之、山口厚、戸倉三郎、深山卓也、林道晴、岡村和美、長嶺安政の11人。
^ 宮崎裕子、三浦守、草野耕一、宇賀克也の4人。
^ 「第二次夫婦別姓訴訟」と呼ばれる[557]。
^ 5名の裁判官のうち林道晴、戸倉三郎、長嶺安政の3名が夫婦別姓を認めない民法の現規定を合憲とした。これに対し宇賀克也、渡辺恵理子の2名は同規定を違憲とする反対意見を付した[379][380]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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