太陽の恋人_アグネス・ラム
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アグネス・ラムが最初に来日したのは1975年3月末で[10][11]、この時は小さな仕事しか獲得できず[10]。日本に居住して仕事を続けることを大西一興(のち、スペースクラフト代表)から説得されたが、寒さが苦手でホームシックもあってこれを拒否し、ハワイを拠点に活動するという条件で帰国した[10]。人気が爆発したのは同年11月にライオン油脂の「エメロン・ミンキー・トリートメント」のCMに起用されてからで[10]、以降、多くの雑誌の表紙やグラビアを飾り[12]、1976年夏には大手企業十数社がCMに起用するまでになった[9][10][13]。二度目の来日だった1976年11月にはマスメディアも大きく取り上げ、ファンも殺到し大きな騒動になった[10][13]。本作『太陽の恋人 アグネス・ラム』が撮影されたのは1976年であるが、劇中、アグネスがインタビューに答えるシーンがあり、「あなたのことを熱心に応援してくれる日本のファンの皆さまへメッセージをお願いします」と聞かれ「将来日本に行けたらうれしいのですが、行けないときには是非皆様が、ハワイに来て戴きたいと思います」と、まだ日本に行ったことがないという体で話す。
興行形態と成績

1976年の東映は『トラック野郎シリーズ』と『まんがまつり』以外は不振番組が続き[14][15][16]、同年7月、シビレを切らした岡田茂東映社長が自ら陣頭に立ち、実録ものをさらにドギツク、リアルにしたドキュメンタリー・ドラマ路線の新設を打ち出し[16][17][18][19]、「洋画のヒット作の趨勢と呼応する"話題性"を軸にした"見世物映画"を香具師の精神で作品を売っていく」と宣言した[17]。岡田社長肝いり路線の第一弾が『沖縄やくざ戦争』と『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑』の二本立てで[17]、第二弾が岩城滉一主演の「暴走族シリーズ」第4弾『爆発! 750cc族』と舘ひろし主演の『男組 少年刑務所』の二本立てだったが[17][20]、これが先の新路線とは傾向の違う青春路線だったため[21]、この二本立ての興行不安から岡田社長が急遽、公開予定のなかった[17]、本作『太陽の恋人 アグネス・ラム』を付け[16]、三本立てで公開した[7][16][20][22]。東映としてはアグネスのボイン神通力に期待した[1]。しかし不良性感度と純情派の同居が思わしくなく[22]、結果、興行は振るわず[7][16][22]。岡田は「これは所詮うちのカラーに合わん。勝負に出たのが狂った」と述べている[16]
同時上映

爆発! 750cc族

監督 - 小平裕 / 主演 - 岩城滉一

男組 少年刑務所

監督 - 岡本明久 / 主演 - 舘ひろし

映像ソフト

1970年代当時の岡田茂東映社長が8ミリフイルムによるホームシアター化を推進していたため[23][24][25]、「富士フィルム東映8ミリ映画劇場」のタイトルの一つとして1970年代に8ミリフイルムとして発売されている(東映ビデオ#1970年代)。ビデオテープが発売されたかについては不明。2003年3月にはエポック社から、54枚の写真カード等を付けて限定500個を謳いDVDとして発売された[4]。高中のミュージック・ビデオ『Go-On』にも映像が登場している。その後、2011年10月21日発売の「復刻! 東映まんがまつり 1974年夏」において初DVD化されている。
脚注^ a b c d e f g h i j “ラムちゃん魅力のすべて ちゃっかり東映出演してました”. 報知新聞 (報知新聞社): p. 13. (1976年8月20日) 


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