太陽の季節
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また、一定の系列がある「竜哉の恐怖の対象」は、「情熱の必然的な帰結である退屈な人生」と、「情熱が必然的な帰結を辿らなかつたときの、人生と共に永い悔恨」の二つで、「この二つのどちらか一つを、人は選ぶやうに宿命づけられてゐる」と三島は説明し[11]、『太陽の季節』が「夏の短かいさかりのやうな強烈で迅速な印象」を与えたのは、この二つの「恐怖」に対する青年層の共感があり、象徴的意味を看取したためで、竜哉が「〈愛〉の観念の純粋性」を救うためには、「愛の対象」(英子)が死に、竜哉自身は「悔恨」に沈まなければならず、竜哉が「〈愛〉の観念」を全面的に受け入れるなら、「世俗に屈服」し、古い慣習的な象徴であるところの〈丹前をはだけ〉て子供を抱かなければならないという、「観念的な図式」が明確に作品に示されていると解説している[11]。また、作者・石原が意図した、その観念的図式の構成とは無関係に、竜哉が別の顔を見せる細部の美しい挿話について、以下のように評している[11]。この作品そのものよりも、この物語が水溜りにうかんだのやうに光彩を放つてゐるとすれば、その水溜りのはうで人を感動させたのだとも言へよう。従つて、この小説にちらりと顔を出す、最も美しい水溜りの一部は、固い腹筋を誇る父の腹にパンチをくらはしてを吐かせ、その償ひに自分のめちやくちやにされた顔を示し、しかもそれが生温かい肉親の心配をしか呼び起さぬのを見て失望する竜哉の別の肖像画である。志賀直哉氏の「和解」以来、かういふ美しい父子の場面は、あまり描かれたことがなかつた。 ? 三島由紀夫「解説」(『新鋭文学叢書8・石原慎太郎集』)[11]

さらに三島は、『太陽の季節』はスキャンダラスどころか、「つつましい羞恥にみちた小説」ではないかと提起し、障子紙を破って突き出される男根の場面も、「中年の図々しい男なら、そのまま障子をあけて全身をあらはす筈」だとし、英子の愛に素直になれない竜哉の「羞恥」について以下のように解説している[11]。ひたすら感情バランス・シートの帳尻を合はせることに熱中し、恋愛の力学的操作に夢中になり、たえず自分のをいつはり、素直さに敵対し、自分の情念のゆるみを警戒するのは、ストイシズムの別のあらはれにすぎないではないか? 恋をごまかす優雅な冷たい身振の代りに、恋をごまかす冷たい無駄な性行為をくりかへすのは、結局、或る純粋な感情のときめきを描くために、ロマンチックの作者が月光を使つたやうに、扇の代りに性行為を使つただけではなからうか?……これだけ性的能力を誇示した小説にもかかはらず、この主題が奇妙にスタンダールの不能者を扱つた小説と似てゐるのは偶然ではない。 ? 三島由紀夫「解説」(『新鋭文学叢書8・石原慎太郎集』)[11]

そして、その「〈愛〉の不可能と〈現実〉との関はり合ひ」という石原の「もつとも大切な主題」は、のちに発展して秀作『亀裂』を生むと三島は解説している[11]

中森明夫は、『太陽の季節』の主人公・竜哉の「心性」は、「〈おたく〉(個に自閉して、他者性を欠いた心性のありようの総体)」の「メンタリティー」と極めて近く、それはいわば、「もてる〈おたく〉、アクティブな〈おたく族〉」と呼べるかもしれないとし[12]、「〈おたく〉の誕生は豊かな社会―すべて(物質的に)満たされている、ゆえに引きこもり、他者性を欠いて、決して(精神的に)満たされることのない社会―という存在条件が不可欠」であるゆえに、「『太陽の季節』の主人公の心性と存在環境は、〈おたく〉の誕生に三十年は先行していたとも言える」と考察している[12]。また中森は、オウム真理教による地下鉄サリン事件(「おたく世代のテロ犯罪」とも呼ばれた)の、「すべて満たされている、ゆえに変化のない日常の息苦しさに耐えられず、世界破壊を夢見る若者たちが現れる―という透視図」は、1950年代後半の石原慎太郎の『亀裂』と、三島由紀夫の『鏡子の家』、1960年のフェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』にすでに先見的に描かれていたと分析している[12]
太陽族と映倫

『太陽の季節』の芥川賞受賞を受けて『週刊東京』誌で行なわれた石原慎太郎と大宅壮一の対談で、大宅が「太陽族」との言葉を用いたことから、特に夏の伊豆?湘南の海辺や上高地で無秩序な行動をとる享楽的な若者(慎太郎刈りサングラスアロハシャツの格好をした男性の不良集団)のことを指す言葉として流行語化した[13][14]。なおアロハシャツとサングラスは以前のアロハ族(アプレ族)より引き継がれている[15]

なお太陽族の女性はスカートやワンピースの下にペチコートを履いた落下傘スタイルとなっており[15][16]、こちらもアプレ族の延長となっていたとされる[15]。「taiy?zoku 」も参照

また、本作の映画化に続き制作された、同じく石原慎太郎原作の『処刑の部屋』(1956年6月公開)、『狂った果実』(1956年7月公開)を「太陽族映画」と称して、未成年者の観覧を禁止するなどの自主規制が各地で実施され[17]、社会現象ともなった。この「太陽族映画」規制の問題は、映画業界以外の第三者を加えた、現在の映画倫理委員会(映倫)が作られるきっかけとなった。

規制の背景として「太陽族映画」を観て影響を受けたとして、青少年が強姦や暴行、不健全性的行為など様々な事件を起こし社会問題化した[18] ことが挙げられる。
映画「太陽の季節(映画)(英語版)」も参照

太陽の季節

監督古川卓巳
脚本古川卓巳
原作石原慎太郎
製作水の江滝子
出演者南田洋子長門裕之石原裕次郎
音楽佐藤勝
撮影伊佐山三郎
編集辻井正則
配給日活
公開 1956年5月17日
上映時間89分
製作国 日本
言語日本語
配給収入1億8564万円[19]
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1956年(昭和31年)の日活作品。ストーリーは原作にほぼ忠実。なお、原作者の弟である石原裕次郎が脇役として出演しており、これがデビュー作であった。裕次郎はもともと原作に登場する文化風俗などを兄に代わってアドバイスする考証スタッフとして関わっていたが、役者の数が足りなくなったため急遽出演することになったという。

この映画は、長門裕之南田洋子が結婚するきっかけともなった。
キャスト

津川竜哉 -
長門裕之

武田英子 - 南田洋子

津川道久 - 三島耕

津川洋一 - 清水将夫

津川稲代 - 坪内美詠子


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