太陽の季節
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1956年(昭和31年)5月に映画化され人気を博すが、その内容が問題になり、制作者の内部機関だった「映画倫理規程管理委員会」が外部の第三者も参加する「映画倫理管理委員会」(現・映画倫理委員会)と改められるきっかけとなる[3]

石原が幼少期を過ごした神奈川県逗子市の逗子海岸には、「太陽の季節 ここに始まる」という彼の自筆が入ったモニュメントが建立されている。

2002年(平成14年)にはTBSテレビによってテレビドラマ化されたが、ストーリーは小説と全く異なる。
あらすじ

高校生・津川竜哉はバスケット部からボクシング部に転部し、ボクシングに熱中しながら部の仲間とタバコバクチ・女遊び・喧嘩の自堕落な生活を送っている。

ある日、竜哉は街でナンパした少女の英子と肉体関係を結び、英子は次第に竜哉に惹かれていく。だが竜哉は英子に付き纏われるのに嫌気がさし、英子に関心を示した兄・道久に彼女を5千円で売りつける。それを知った英子は怒って道久に金を送り付け、3人の間で金の遣り取り(契約)が繰り返される。

ところが英子が竜哉の子を身籠ったことがわかり、妊娠中絶手術を受ける。手術は失敗し英子は腹膜炎を併発して死亡した。葬式で竜哉は英子の自分に対する命懸けの復讐を感じ、遺影香炉を投げつけ、初めてを見せた。竜哉は学校のジムへ行き、パンチングバッグを打ちながら、ふと英子の言った言葉を思い出した。「何故貴方は、もっと素直に愛することが出来ないの」。竜哉はその瞬間見えた英子の笑顔の幻影を夢中で殴りつけた。
文學界新人賞・芥川賞の選評

『太陽の季節』は受賞作にはなったものの、選考委員の評価は必ずしも高いとは言えず、反倫理的な内容についても評価が分かれた。作品にみなぎる若々しい情熱が評価され激賞される一方で、同時に賛成派からも、文章の稚拙さや誤字があるなど多くの欠点が指摘されている。

文學界新人賞の選評者5名中、賛成派が伊藤整井上靖武田泰淳の3名。反対派が平野謙吉田健一の2名[4]芥川賞の選評者9名中、賛成派が舟橋聖一石川達三、井上靖の3名。しぶしぶ支持派が瀧井孝作川端康成中村光夫の3名。強固な反対派が佐藤春夫丹羽文雄宇野浩二の3名であった[5]

なお、文藝春秋社の内部からも否定的な声があがり、当時『文學界』の編集者だった尾関栄は、「編集部員の一人が熱烈に支持したので、芥川賞候補にノミネートしたが、個人としては好きになれなかった。性器で障子を破るシーンにしても、武田泰淳さんの『異形の者』のなかにすでに同様の場面があり、賞に値するかどうかで相当迷った」と回想している[6]。刊行本が文藝春秋からでなく新潮社になったのも、当時、文藝春秋出版部長だった車谷弘が、「俺の目の黒いうちはこんなものは出せん」と出版を許さなかったからだと、同社元専務の西永達夫が語っている[1]
賛成派

伊藤整は、「いやらしいもの、ばかばかしいもの、好きになれないものでありながら、それを読ませる力を持っている人は、後にのびる」と推奨し[4]武田泰淳は、「彼は小説家より大実業家になるかも知れない」と述べている[4]

石川達三は、「欠点は沢山ある。気負ったところ、稚さの剥き出しになったところなど、非難を受けなくてはなるまい」、「倫理性について〈美的節度〉について、問題は残っている。しかし如何にも新人らしい新人である。危険を感じながら、しかし私は推薦していいと思った」とし、「この作者は今後いろいろな駄作を書くかも知れない。私はむしろ大胆に駄作を書くことをすすめたい。傑作を書こうとする意識はこの人の折角の面白い才能を萎縮させるかも知れない」と述べている[5]

舟橋聖一は、「この作品が私をとらえたのは、達者だとか手法が映画的だとかいうことではなくて、一番純粋な〈快楽〉と、素直に真っ正面から取り組んでいる点だった」とし、「彼の描く〈快楽〉は、戦後の〈無頼〉とは、異質のものだ」と評している[5]。また、「佐藤春夫氏の指摘したような、押しつけがましい、これでもか、これでもかの、ハッタリや嫌味があっても、非常に明るくはっきりしているこの小説の目的(#反対派)が、それらの欠陥を補ってあまりあることが、授賞の理由である」と述べている[5]

井上靖は、「その力倆と新鮮なみずみずしさに於て抜群だと思った」とし、「問題になるものを沢山含みながら、やはりその達者さと新鮮さには眼を瞑ることはできないといった作品であった」、「戦後の若い男女の生態を描いた風俗小説ではあるが、ともかく一人の―こんな青年が現代沢山いるに違いない―青年を理窟なしに無造作に投げ出してみせた作品は他にないであろう」と述べている[5]
消極的支持派

瀧井孝作は、「小説の構成組立に、たくみすぎ、ひねりすぎの所もあるが、若々しい情熱には、惹かれるものがあった。これはしかし読後、“わるふざけ”というような、感じのわるいものがあったが、二月号の『文學界』の『奪われぬもの』というスポーツ小説は、少し筆は弱いけれど、まともに描いた小説で、これならまあよかろうと思った」とし、「この作家は未だ若くこれからだが、只、器用と才気にまかせずに、尚勉強してもらいたい、と云いたい」と注文を出している[5]

中村光夫は、「未成品といえば一番ひどい未成品ですが、未完成がそのまま未知の生命力の激しさを感じさせる点で異彩を放っています」と述べつつも、「常識から云えば、この文脈もところどころ怪しい。〈丁度〉を〈調度〉と書くような学生に芥川賞をあたえることは、少なくも考えものでしょう」と誤字を指摘し、「石原氏への授賞に賛成しながら、僕はなにかとりかえしのつかぬむごいことをしてしまったような、うしろめたさを一瞬感じました」、「しかしこういうむごさをそそるものがたしかにこの小説にはあります。おそらくそれが石原氏の才能でしょう」と述べている[5]

川端康成は、「私は『太陽の季節』を推す選者に追随したし、このほかに推したい作品もなかった」とし、「第一に私は石原氏のような思い切り若い才能を推賞することが大好きである」、「極論すれば若気のでたらめとも言えるかもしれない。このほかにもいろいろなんでも出来るというような若さだ。なんでも勝手にすればいいが、なにかは出来る人にはちがいないだろう」と述べている[5]
反対派

吉田健一は、「体格は立派だが頭は痴呆の青年の生態を胸くそが悪くなるほど克明に描写した作品」と酷評し[4]、「ハード・ボイルド小説の下地がこの作品にはある」とした上で、「その方を伸ばして行けば、『オール讀物』新人杯位まで行くことは先づ請け合へると思ふ」と述べている[4]

平野謙は、「私などの老書生にはこういう世界を批評する資格がない」とさじを投げた[4]

丹羽文雄は、「若さと新しさがあるというので、授賞となったが、若さと新しさに安心して、手放しで持ちあげるわけにはいかなかった。才能は十分にあるが、同時に欠点もとり上げなければ、無責任な気がする」とし、「プラス・マイナスで、結局推す気にはなれなかった。私には何となくこの作品の手の内が判るような気がする」と述べている[5]

佐藤春夫は、「反倫理的なのは必ずも排撃はしないが、こういう風俗小説一般を文芸として最も低級なものと見ている上、この作者の鋭敏げな時代感覚もジャナリスト興行者の域を出ず、決して文学者のものではないと思ったし、またこの作品から作者の美的節度の欠如を見て最も嫌悪を禁じ得なかった」とし[5]、「これでもかこれでもかと厚かましく押しつけ説き立てる作者の態度を卑しいと思ったものである。そうして僕は芸術にあっては巧拙よりも作品の品格の高下を重大視している。僕にとって何の取柄もない『太陽の季節』を人々が当選させるという多数決に対して、僕にはそれに反対する多くの理由はあってもこれを阻止する権限も能力もない」と投げやりになりながら、「僕はまたしても小谷剛を世に送るのかとその経過を傍観しながらも、これに感心したとあっては恥しいから僕は選者でもこの当選には連帯責任は負わないよと念を押し宣言して置いた」と批判している[5]


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