太田鉄道
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この建設により福島(郡山)地方への重要な連絡路の役割をはたし貨客の輸送量は増大し経営は好転していった[29]

一方勝田-大宮間の軽便線の計画を潰された形となったが衆議院議員(茨城県選出、政友会根本正の熱心な議会活動により1919年(大正8年)大宮-郡山間(大郡線)の予算計上に成功、さっそく工事着手、1922年(大正11年)12月10日大郡線常陸大宮 - 山方宿間の開業をみることになる。

1927年(昭和2年)水戸鉄道(2代)は「国有鉄道既設線との線路の系絡をはかり円滑な連絡をおこなう[30]」との理由で買収されることになり[31]法律第29号が公布され[32]、12月1日水戸鉄道(2代)水戸-太田間、上菅谷-常陸大宮間延長20哩30鎖を買収、水郡線と名付けられた。買収価額は3,363,813円であった[33]
沿革

1892年(明治25年)

7月18日 馬車鉄道敷設特許(日本鉄道水戸駅-久慈郡太田町間)
[34]

11月15日馬車鉄道を小機関車鉄道に変更願[35][36]


1893年(明治26年)

4月8日 太田鉄道に対し仮免状下付[34]

12月22日 免許状下付(久慈郡太田町-水戸市間 軌間762mm 発起人総代大内義行)[37]。太田鉄道設立(社長佐藤信?)[6]


1894年(明治27年)鉄道敷設免許却下(水戸市-東茨城郡下大野村間)[34]

1896年(明治29年)4月17日 普通鉄道の変更認可[38][39]

1897年(明治30年)11月16日 水戸 - 久慈川間が開業[40]

1899年(明治32年)4月1日 久慈川 - 太田間開業[41]

1900年(明治33年)8月20日 水戸鉄道(2代)に対し鉄道免許状下付[42][43]

1901年(明治34年)

10月20日 水戸鉄道(2次)設立[44]

10月21日 太田鉄道が水戸鉄道(2代)に事業を譲渡[45]


1911年(明治44年)2月16日 軽便鉄道指定[42]

1916年(大正5年)3月27日 鉄道免許状下付(那珂郡菅谷村-同郡大宮町)[46]

1918年(大正7年)

6月12日 上菅谷 - 瓜連間開業[47]

10月23日 瓜連 - 常陸大宮間開業[48]


1922年(大正11年)12月10日 鉄道省大郡線常陸大宮 - 山方宿間開業[49]

1925年(大正14年)8月15日 大郡線山方宿 - 上小川間開業[50]

1927年(昭和2年)

3月10日 大郡線上小川 - 常陸大子間開業[51]

12月1日 水戸鉄道(2代)が買収され国有化。大郡線を編入して水戸 - 常陸大子間および上菅谷 - 常陸太田間を水郡線とする[52]。青柳駅を常陸青柳駅に、太田駅を常陸太田駅に改称。機関車6両、客車21両、貨車44両を引継ぐ。


駅一覧

名称駅間距離(哩)設置日所在地備考
水戸
青柳1.21897年11月16日那珂郡川田村国有化時に
常陸青柳に改称
清水原-1912年10月11日[53]1916年11月1日廃止。行楽客のため毎年秋期のみ開設[53]
下菅谷3.71897年11月16日同郡菅谷村
上菅谷1.41897年11月16日同郡菅谷村
額田2.21897年11月16日同郡額田村
久慈川-1897年11月16日官報[54]では1899年4月17日より廃止とあるが、
5月10日まで貨物取扱駅として存続していた[55]
河合1.91899年9月7日[56]久慈郡幸久村
太田1.71899年4月1日同郡太田町国有化時に常陸太田に改称

(上菅谷)
常陸鴻巣2.11918年6月12日那珂郡芳野村
瓜連2.01918年6月12日同郡瓜連村
0.91919年2月1日[57]同郡静村1918年11月20日-22日静神社参拝客のため臨時停留場設置[58]
常陸大宮3.31918年10月23日同郡大宮町


駅間距離、所在地は『鉄道停車場一覧 : 附・関係法規||線路図運賃早見表. 昭和2年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)による

輸送・収支実績

年度輸送人員(人)貨物量(トン)営業収入(円)営業費(円)営業益金(円)その他損金(円)支払利子(円)
189724,6871,9135,3493,1672,182
1898176,63511,02525,71625,521195
1899213,41814,20834,29433,859435
1900246,75719,11941,30436,9384,366
1901223,42420,21142,69634,4578,239
1902215,74024,82945,05930,01615,043
1903191,23930,97047,33628,17719,159
1904169,89732,51245,35729,72415,633
1905160,32735,05447,08634,24112,845
1906167,19740,90153,75735,28318,474
1907190,78047,25459,77432,43327,341
1908208,99644,45560,94035,47225,468償却金500113
1909214,10939,51162,23135,27726,954226
1910211,15937,17659,69931,41928,280損失補填金2,256455
1911228,15644,99167,04434,33532,709497
1912229,06449,69771,55438,04133,513償却金100582
1913250,50954,81078,24139,69838,543651
1914254,59247,67476,55141,62334,928724
1915254,25446,16176,47042,30534,165898
1916269,84152,61281,08744,88636,2011,133
1917305,61162,77187,42058,59628,8241,317
1918400,56278,125128,99899,33929,659704
1919576,322106,137203,923163,01640,90716,103
1920627,89090,231257,535221,34136,19414,494
1921609,97990,016305,544208,72596,819
1922630,76498,008337,361207,079130,282
1923710,864117,830373,871221,954151,917雑損金335
1924696,375129,469394,213214,045180,168
1925704,553118,241392,439216,777175,662
1926678,773130,339397,272221,106176,166
1927585,218123,343395,043211,824183,219雑損906


鉄道局年報、鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料各年度版

車両

国有化により機関車6両、客車21両、貨車44両が引継がれた[59]

機関車太田鉄道では前述のように軌間762mmから1067mmに変更となったため注文していた機関車は処分された。詳細は竜崎鉄道1号蒸気機関車を参照。開業にあたりアメリカピッツバーグ・ロコモティブ・アンド・カー・ワークスよりCタンク機関車2両を新製。水戸鉄道(2代)になり1916年に鉄道院より2両、1925年に揖斐川電気(元養老鉄道)より2両購入し、計6両が在籍した。


客車統計では1897年度-1907年度まで8両在籍している。1902年に一等が廃止されている[60]。1908年度より1911年度には6両となる。1912年南海鉄道より2軸客車3両を購入。1917年には国鉄より2軸客車4両[61]、1925年揖斐川電気より2軸客車6両を購入、1927年に郵便車2両[62]を新製し、計23両が在籍していた。

使用開始形式番号購入元国有化後製造年製造所前歴
1897A1形 1新製16901896ピッツバーグ
1897A1形 2新製16911896ピッツバーグ
1916A2形 10鉄道院16801896ナスミス北越鉄道2→鉄道院1110
1916A2形 11鉄道院16811895ナスミス鉄道作業局180→鉄道院1103
192521形 21揖斐川電気17101896ダブス讃岐鉄道8→山陽鉄道140→鉄道院1230→養老鉄道(揖斐川電気)11
192521形 22揖斐川電気17111896ダブス讃岐鉄道9→山陽鉄道141→鉄道院1231→養老鉄道(揖斐川電気)12
ロハニ21→フロハ21
ロハ23
ハニ12→フハ12
ハ14
ハ15
ハ16
1912ハ31南海鉄道ハ16851900汽車製造南海鉄道は83
1912ハ32南海鉄道ハ16861900汽車製造南海鉄道は88
1912ハ33南海鉄道ハ16871900南海鉄道は89


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