太平洋
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ヴァルトゼーミュラー地図 (1507年)も参照[34]

有史以前、すでに太平洋の沿岸地域には人類が居住していた。しかし、太平洋中央部に点在する島々へと人々が移住するようになったのは、紀元前1500年ごろにニューギニアに居住していたラピタ人たちが、島伝いに沖へと乗り出していったものがはじまりと推測されている。彼らはまずニューギニアから近いメラネシアへと進出し、ビスマーク諸島には紀元前1300年、バヌアツには紀元前1000年、フィジーには紀元前900年、トンガには紀元前850年に到達した。この第一期の移住の波は、サモアでいったん停止した。その数百年後、サモアやフィジー、トンガといったポリネシア西部の島々から第二期の移住の波が起こり、ニュージーランド(アオテアロア)、マルケサス諸島、タヒチ、イースター島、ハワイなど残りの島々にすべて植民し、ヨーロッパ人が太平洋に到達する数百年前には、すでにポリネシア人は太平洋の隅々まで植民を終えていた。「太平洋の諸島の歴史」も参照
ヨーロッパ人の到来

16世紀初頭、ヨーロッパ人が太平洋に到達した。最初に太平洋に到達したヨーロッパ人は、1513年パナマ地峡を渡ったバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアである。彼はMar del Sur (南の海という意味)と名付けた[35]。この名がついたのは、バルボアが渡ったパナマ地峡は南北に短く、北岸のカリブ海側から南岸の太平洋側に到達したからである。そしてその後、ポルトガル人探検家フェルディナンド・マゼラン1519年から1521年の間に世界一周の過程で太平洋を航海するとき、マゼランは太平洋を "Pacifico" または "Pacific" とよんだ。この言葉は平和な、または太平な、という意味である。なぜなら航海の最中ずっと海が穏やかだったからである。

しかしマゼラン本人は1521年にフィリピンで死んでしまい、スペイン人航海士フアン・セバスティアン・エルカーノが一隊を連れてインド洋を超え喜望峰をまわり、1522年にスペインへ帰国し世界一周を成し遂げた[36]1525年から1527年にかけては、ポルトガル人の探検隊がカロリン諸島[37]ニューギニア島[38]に到達した。

1564年、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ率いるスペインの探検隊がメキシコからフィリピン諸島マリアナ諸島へ海を渡った[39]。16世紀のその後、スペインの影響は最も大きかった。スペインはメキシコペルーから太平洋を越えてグアムを経由しフィリピンまで航行する、スペイン領東インドを作った。マニラ・ガレオンは250年間、マニラアカプルコと結んだ。これは歴史上最も長い交易路の一つである。スペインの探検により南太平洋のツバルマルキーズ諸島ソロモン諸島が見つかった[40]

テラ・アウストラリスを捜す探検の中で、スペイン人の探検家たちは17世紀に南太平洋のピトケアン諸島バヌアツ諸島を発見した。オランダ人探検家たちも南アフリカをまわり、発見と交易にかかわった。アベル・タスマンは1642年にタスマニア島ニュージーランドを発見した[41]。18世紀にはいると、ロシア人がアラスカアリューシャン列島の大規模な探検をおこなった。スペインは北西太平洋へも探検家を送り、カナダおよびアラスカ南部のバンクーバー島まで達した。フランス人はポリネシアを探検し、植民した。イギリスはジェームズ・クックらを3回航海させ、南太平洋やオーストラリアハワイや北米の太平洋岸北西部へ行かせた。このクックの航海により、太平洋中央部の島々のかなりが発見された。

19世紀中拡大した帝国主義により、太平洋の大部分がヨーロッパの列強に占領され、次にアメリカ合衆国と日本に占領された。1830年代にチャールズ・ダーウィンをのせ航海したビーグル号や1870年代に航海したチャレンジャー号チャレンジャー号探検航海)などによって多くの海洋学的知識がもたらされた。

アメリカ合衆国パリ条約によってグアムとフィリピンをスペインから1898年に得たが、その後日本が西太平洋のほとんどを1914年に、そして他の島を太平洋戦争中に占領した。しかし敗戦とともにアメリカ海軍の太平洋艦隊が太平洋を事実上占領した。第二次世界大戦の後、太平洋の多くの植民地が独立国家になった。
政治

太平洋沿岸地域、とくに北アメリカ大陸および東アジアの経済成長に伴い、太平洋を取り巻くいわゆる環太平洋諸国の関係は深まりつつあり、これら諸国が多国間経済協力を進めるため、1989年アジア太平洋経済協力(APEC)が始まった。2014年にはこのAPECは21の国と地域が参加しており、とくにアメリカ・日本・中国・ロシアといった大国群が参加していることもあって、参加国の総計では世界のおよそ半分の人口・国富・貿易額を占めている[42]。このため、APECは重要な国際機関の一つとなっている。
経済

太平洋の鉱物資源の開発はその深さが障害になっている。オーストラリアとニュージーランドの大陸棚の浅瀬では、石油天然ガスが採掘されている。また、オーストラリア日本パプアニューギニアニカラグアパナマフィリピンの沿岸では真珠も取れる。しかし、取れる量がはっきりと減っている場合もある[43]

太平洋最大の価値は水産資源である。大陸の海岸付近の海域や温帯の島ではニシンマスノスケイワシメカジキツナ貝類等がとれる[44]。太平洋は、海域によって漁業生産力の差が激しい。太平洋で最も漁業生産力の高い地域は北太平洋にあり、日本近海からカムチャツカ半島アリューシャン列島アラスカ南岸を通って北アメリカ大陸の西岸にいたる地域である。この地域は黒潮が大きな流れを作っており、ここに親潮などの寒流やベーリング海などからの冷たい海水が接触することで潮目ができ、好漁場となっている。このほか、南アメリカ大陸沿岸も寒流であるペルー海流と周辺の温暖な海水との接触により好漁場となっている。逆に、太平洋の中央部は、赤道反流によって湧昇が起こり好漁場となる赤道周辺を除いては、漁業生産力は低い。
環境問題ハワイの海岸の海ゴミ詳細は「海洋汚染」を参照「太平洋ゴミベルト」も参照

海洋汚染とは、有害な化学物質や細かいかけらが海に入ることを指す包括的な言葉である。最大の原因は川にゴミを捨てることである[45]

川は海に注ぐ。その時、農業用肥料として使われた化学物質なども一緒に注ぐ。その化学物質を分解するために多くの酸素が使われ、貧酸素水塊ができてしまう[46]。海ゴミとも呼ばれる漂流ゴミは海で見つかった人間のゴミを指す言葉である。特にプラスチックなど生分解性に乏しい素材でできた水よりも比重の軽いゴミは長期間浮遊し続ける。比重が軽く水に浮きやすい海ゴミは渦の中心や海岸線に集まる傾向があり、しばしば浜辺にゴミが打ち上げられる[45]


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