太平洋
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例としてはバナバ島 (かつてはオーシャン島と呼ばれた)やフランス領ポリネシアトゥアモトゥ諸島にあるマカテア島などがある[18][19]

南太平洋上には、陸地から最も離れた場所(到達不能極)であるポイント・ネモがあり、人工衛星を安全に落下させるための目標とされている[20]
海水の特徴2004年の時点での世界の海流の一覧。赤が暖流で青が寒流。

太平洋の水の体積はおよそ7.14億立方キロメートルであり、世界の海水総量の50.1%を占める[21]。水温は場所によって様々で、極付近では海水の凍りはじめる凝固点である-1.4度近くまで下がり、赤道付近では30℃近くにまで上がる[22]

塩分濃度も緯度によって様々である。赤道付近の海水は中緯度地域の海水よりも塩分濃度が低い。なぜなら熱帯性の熱帯特有の大雨が一年中降って希釈されるからである。温帯に近い高緯度地域の塩分濃度も、中緯度地域と比べると低い。なぜなら寒い地域では海水があまり蒸発しないからである。
海流

太平洋の海水の動きは一般的に、北半球では時計回り南半球では反時計回りの環流である。北赤道海流は、北緯15度付近では貿易風により西に流れ、フィリピン沖で向きを北に変え黒潮になる[23]。その後北緯45度付近で東に向きを変え、黒潮と一部の海水は北へ向かいアリューシャン海流になる。そうでない海水は南へ向かい、北赤道海流に戻る[24]。アリューシャン海流は北米に近づくと、一部はベーリング海を反時計回りに回る基礎となる。南側の部分は南へ向かう遅い寒流、カリフォルニア海流になる.[25]

赤道に沿って西に流れる南赤道海流は、ニューギニアの東で南へ、南緯50度付近で東へと向きを変え、南極海を西から東へ流れ地球を一周する南極環流に合流する。チリの海岸に近づくと、南赤道海流は2つに分かれる。片方はホーン岬をまわり、片方は北へ向かうフンボルト海流になる[26]
地質詳細は「太平洋プレート」を参照太平洋は多くの火山海溝に囲まれている。標高を示した図。

安山岩線とは、太平洋と他を分ける最も重要なもので、太平洋の真ん中にある海盆の深いところにある有色鉱物火成岩と、太平洋の縁にある大陸性の部分的に沈んでいる無色鉱物火成岩でできた区域とを分ける[27]。安山岩線はカリフォルニアの沖合の西側からアリューシャン列島の南を通り、以下の地域の東側を通る:カムチャツカ半島千島列島日本列島マリアナ諸島ソロモン諸島北島 (ニュージーランド)[28][29]。安山岩線という閉じた輪の中は、海底火山と環太平洋地域を特徴づける火山島を除いては水深の深い海である。

玄武岩質の溶岩は普通流れ出ると巨大なドーム型の火山、楯状火山を形作り、その浸食された頂上は島弧、列島、群島などになる。

安山岩線の外側にある環太平洋造山帯は、さまざまな沈み込み帯(プレートが横向きに押されて、別のプレートの下へ沈むところ)の上に何百もの活火山があることからその名がついた。太平洋は沈み込み帯にほぼ全てぐるりと囲まれている唯一の海である。南極とオーストラリアの海岸の近くだけが唯一沈み込み帯ではないところである。
地質学的歴史

太平洋はパンゲア大陸の分裂によって古代海洋パンサラッサから変化してできた海である。連続的に置き換わったので、いつパンサラッサが太平洋に切り替わったか、はっきりとしたことは言えない。その一方で当時を再現した地図ではたいてい大西洋が開き始めた頃のパンサラッサを太平洋と呼び始める ([30][31][32]を参照)。

パンサラッサは7億5000万年前のロディニア大陸の分裂により初めて開いた[32]。しかし、海底は、海嶺で誕生した後、プレートテクトニクスによって常に動き続けており、海溝で沈み込むことによって更新されているため、現在確認されている最も古い太平洋の海底はおよそ1億8000万年前のものである[33]
海山列

太平洋にはホットスポットの作った長い海山列(海底にある山脈のこと)がいくつかある。天皇海山群ルイビル海山列などである。
歴史
ポリネシア人の移住「オセアニア」を参照アブラハム・オルテリウスが1589年に書いたMaris Pacifici(en)。初めてに太平洋を描いた地図の一つである。ヴァルトゼーミュラー地図 (1507年)も参照[34]

有史以前、すでに太平洋の沿岸地域には人類が居住していた。しかし、太平洋中央部に点在する島々へと人々が移住するようになったのは、紀元前1500年ごろにニューギニアに居住していたラピタ人たちが、島伝いに沖へと乗り出していったものがはじまりと推測されている。彼らはまずニューギニアから近いメラネシアへと進出し、ビスマーク諸島には紀元前1300年、バヌアツには紀元前1000年、フィジーには紀元前900年、トンガには紀元前850年に到達した。この第一期の移住の波は、サモアでいったん停止した。その数百年後、サモアやフィジー、トンガといったポリネシア西部の島々から第二期の移住の波が起こり、ニュージーランド(アオテアロア)、マルケサス諸島、タヒチ、イースター島、ハワイなど残りの島々にすべて植民し、ヨーロッパ人が太平洋に到達する数百年前には、すでにポリネシア人は太平洋の隅々まで植民を終えていた。「太平洋の諸島の歴史」も参照
ヨーロッパ人の到来

16世紀初頭、ヨーロッパ人が太平洋に到達した。最初に太平洋に到達したヨーロッパ人は、1513年パナマ地峡を渡ったバスコ・ヌーニェス・デ・バルボアである。彼はMar del Sur (南の海という意味)と名付けた[35]。この名がついたのは、バルボアが渡ったパナマ地峡は南北に短く、北岸のカリブ海側から南岸の太平洋側に到達したからである。そしてその後、ポルトガル人探検家フェルディナンド・マゼラン1519年から1521年の間に世界一周の過程で太平洋を航海するとき、マゼランは太平洋を "Pacifico" または "Pacific" とよんだ。この言葉は平和な、または太平な、という意味である。なぜなら航海の最中ずっと海が穏やかだったからである。

しかしマゼラン本人は1521年にフィリピンで死んでしまい、スペイン人航海士フアン・セバスティアン・エルカーノが一隊を連れてインド洋を超え喜望峰をまわり、1522年にスペインへ帰国し世界一周を成し遂げた[36]1525年から1527年にかけては、ポルトガル人の探検隊がカロリン諸島[37]ニューギニア島[38]に到達した。

1564年、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ率いるスペインの探検隊がメキシコからフィリピン諸島マリアナ諸島へ海を渡った[39]


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