太平洋戦争
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GHQはプレス・コードなど[25]で「大東亜戦争」の使用を新聞で避けるように指令し[26]1945年12月8日(開戦4周年)以降、新聞各紙でGHQ民間情報教育局作成の『太平洋戰爭史?真実なき軍国日本の崩壊』の掲載を開始。この満洲事変から太平洋戦争までを連続させ日本の侵略と残虐行為を詳細に叙述した戦史の単行本10万部は完売、GHQ指導で学校教育でも奨励され、定着した[26]12月15日神道指令[27]では軍国主義国家主義を連想させるとして「大東亜戦争」呼称の使用を公文書において禁止した[28](のち失効[22][29])。

翌1946年、法律勅令の文言は「今次ノ戦争」と改められた[30]。1960年頃から一種のタブー扱いとされ「大東亜戦争」はメディアでの使用は控えられており、日本政府はGHQの政策以降、現在まで公的には「今次戦争」「先の大戦」「第二次世界大戦」などを用いている[28]。ただし2006年平成18年)の政府見解では「大東亜戦争」「太平洋戦争」の定義を定める法令はないとされた[31]

2007年(平成19年)の政府見解では「大東亜戦争」の定義については、当時の閣議決定において「「今次ノ対米英戦争及今後情勢ノ推移ニ伴ヒ生起スルコトアルヘキ戦争ハ支那事変ヲモ含メ大東亜戦争ト呼称ス」とされている」とした一方、「太平洋戦争」の定義については「政府として定義して用いている用語ではない」とした[32]。また、「大東亜戦争と太平洋戦争は同一の戦争か」という質問に対し、「太平洋戦争」を定義していない関係上、答えることは困難であるとした。

2024年(令和6年)、陸上自衛隊第32普通科連隊Xで「大東亜戦争」を含む投稿[33]をし、波紋を呼んだ[34]
「太平洋戦争」の呼称に関する論争等

主にアメリカや戦後のマスコミにより広められたため、民間でも「太平洋戦争」呼称が定着した[35][36]が、それ以外の戦争呼称についても歴史学歴史認識問題などで議論が多数なされた[37]

たとえば林房雄薩英戦争馬関戦争[38]ペリー来航以来の西欧列強のアジア侵略に対抗して日本がアジア解放を目的とした「大東亜百年戦争」の集大成として「大東亜戦争」をみなし[39]、そのほか、十五年戦争[40]アジア・太平洋戦争[41]昭和戦争[42][43]などの呼称が提唱された。アメリカの歴史家ジョン・ステファンは呼称として第二次世界大戦は広範囲で、「太平洋戦争」は「あまりに狭すぎる」ので不適切であり「大東亜戦争」という呼称が「日本がインド洋や太平洋、東アジアおよび東南アジアで繰り広げようとした戦争を最も正確に表現している」と指摘している[44]

またイギリスの歴史家C・ソーンはアメリカはイギリスとの関係から対日戦争に至った経緯から「太平洋戦争」は不適切で、極東戦争を提唱した[45]が、ソーンの他A・J・P・テイラーらは日本がアジアでの英国勢力を駆逐するために開戦し、結果としてイギリスは植民地を失い「敗北」したことを考えれば「大東亜戦争」呼称は妥当とした[45]。ジョン・プリチャードらは「十五年戦争」は曖昧で「極東戦争」は地理的にヨーロッパ中心主義、「War with Japan(対日戦争)」も一方的なので「大東亜・太平洋戦争」という呼称を提案した[46]

また小中学校等の教科書では太平洋以外にもアジア地域で戦ったことから「アジア・太平洋戦争」と明記されている教科書もある。また、「・」なしで「アジア太平洋戦争」とする場合もある。

平成13年度の教科書検定では「アジア・太平洋戦争という言い方も、一般的になっている。」と書いた教科書に「「アジア・太平洋戦争」という用語は、現在一般的とは言い難い」という検定意見が付いた。

戦争の期間はマレー作戦開始および開戦の詔が出された1941年12月8日から大日本帝国政府が降伏文書に調印した1945年9月2日とするのが一般的である[47]が、様々な戦争呼称によって起点は異なる[45]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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