太宰治
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太宰 治
(だざい おさむ)
1948年2月頃[1]田村茂撮影[1]
誕生津島 修治(つしま しゅうじ)
1909年6月19日
日本青森県北津軽郡金木村
(現:五所川原市金木町[2]
死没 (1948-06-13) 1948年6月13日(38歳没)
日本東京都北多摩郡三鷹町
(現在の三鷹市
墓地東京都三鷹市禅林寺
職業小説家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴東京帝国大学仏文科中退
活動期間1933年 - 1948年
主題人間の心理
古典や説話のオマージュ
人間の宿痾
文学活動無頼派[3]新戯作派
代表作『ダス・ゲマイネ』(1935年)
富嶽百景』(1939年)
女生徒』(1939年)
走れメロス』(1940年)
津軽』(1944年)
お伽草紙』(1945年)
ヴィヨンの妻』(1947年)
斜陽』(1947年)
人間失格』(1948年)
デビュー作「列車」(1933年)
配偶者津島美知子(1938年 - 1948年)
子供津島園子(津島雄二妻)
津島佑子
太田治子
親族津島文治(兄)
津島雄二(娘婿)
津島淳(孫)
石原燃(孫)
影響を受けたもの

芥川龍之介
泉鏡花
井伏鱒二
佐藤春夫
共産主義プロレタリア文学
塚本虎二(雑誌『聖書知識』)

影響を与えたもの

田中英光
小山清
奥野健男
新潮社 野平健一
今村夏子檀一雄
上遠野浩平又吉直樹

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太宰 治(だざい おさむ、1909年明治42年〉6月19日 - 1948年昭和23年〉6月13日)は、日本小説家。本名は津島 修治(つしま しゅうじ)。左翼活動での挫折後は、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながらも、第二次世界大戦前から戦後にかけて作品を次々に発表。主な作品に『走れメロス』『津軽』『人間失格』がある。没落した華族の女を主人公にした『斜陽』はベストセラーとなる。戦後はその作風から、坂口安吾織田作之助石川淳檀一雄らとともに新戯作派無頼派と称された。
生涯「太宰治と自殺」も参照
幼年時代高校時代の太宰[4]1928年頃の太宰

青森県北津軽郡金木村(後の同郡金木町、現在の五所川原市金木町)に、県下有数の大地主である父津島源右衛門と母たね(夕子)の六男として生まれた。両親にいる11人の子女のうちの10番目。父・源右衛門は木造村の豪農松木家からの婿養子で県会議員、衆議院議員、多額納税による貴族院議員などを務めた地元の名士で、津島家は「金木の殿様」とも呼ばれていた。父は仕事で多忙な日々を送り、母は病弱だったため、生まれてすぐ乳母に育てられた。その乳母が1年足らずで辞めた後は叔母のキエ(たねの妹)が、3歳から小学校入学までは14歳の女中・近村たけが子守りを務めた。1916年大正5年)、金木第一尋常小学校に入学。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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