天領
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1855年安政2年)になると、和人地の一部と蝦夷地全土が松前藩領から再び天領とされているが、1859年(安政6年)の6藩分領以降に奥羽諸藩の領地となった地域もあった[3]箱館奉行所は、幕末元治元年(1864年)から五稜郭に置かれた。高山陣屋表門

幕府直轄の各領地には代官処がつくられ、郡代代官遠国奉行が支配した。また預地として近隣の大名に支配を委託したものもあった。観光地として有名な岐阜県高山市高山陣屋は、江戸幕府が飛騨国を直轄領として管理するために設置した代官所・郡代役所である。

江戸時代末期に老中首座となった水野忠邦は、天保の改革の一環として上知令江戸城大坂城の十里四方を天領とする)を発令したため、天領の石高は増えたが、周辺に領地を持つ大名から大きく非難された。
天領の規模の変遷

豊臣政権末期には、全国検地高1850万石余の内、12.2%に相当する222万3641石余が豊臣氏の蔵入地であった。一方徳川氏の関東入国当時の蔵入地の実態は明らかではないが、所領伊豆・相模・武蔵・上総・下総・上野の六か国240万石余のうち、100?120万石が直轄化されていたと推定されている。関ヶ原の戦いののち、豊臣氏の蔵入地の接収を含む没収高622万石余が論功行賞の加増・加転に、さらに徳川一門や譜代大名の創出、直轄領の拡大に当てられているが、江戸幕府の直轄地も、初期においては豊臣氏のそれと大差なかったものと考えられ、江戸幕府成立時点で230?240万石が幕府直轄領であったと考えられる。

上方・関東の天領の石高・年貢高に関しては、向山誠斎著『癸卯日記 四』所収の「御取箇辻書付」により享保元年(1716年)から天保12年(1841年)までの年度別の変遷が古くより知られていたが、さらに大河内家記録「御取箇辻書付」[4]の発見により、17世紀中頃からの天領の石高の変遷が明らかになった。それによれば、天領の石高が初めて300万石を超えたのが徳川家綱政権下の万治3年(1660年)だが、寛文印知の前後には300万石を切り、延宝3年(1675年)に至って再び300万石台を回復し、以降300万石を下回ることはない。徳川綱吉政権下になると大名改易による天領石高の増加が著しく、元禄5年(1692年)に初めて400万石を突破し、宝永6年(1709年)以降400万石を下回ることはない。徳川吉宗政権下では無嗣断絶による公収が相次ぎ、享保16年(1731年)には450万石に達し、延享元年(1744年)には江戸時代を通じて最大の463万4076石余となった。その後徳川御三卿が相次ぎ分立することにより、延享4年(1747年)以降天領の石高は減少する。宝暦13年(1763年)から寛政5年(1793年)まで430万石台を維持した後、寛政7年(1795年)?寛政10年(1798年)には再び450万石台に戻るが、その後徐々に石高は減少し、天保9年(1838年)には410万石台に落ちる。天保以降では文久年間の石高の数字が残っており、幕末まで410万石台を維持したと考えられる。

なお個々の年度の石高は史料によって異なり、例えば元禄7年(1694年)の天領総石高は、『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では395万5560石余とあるのに対し、『近藤重蔵遺書』所収の「御蔵入高並御物成元払積書」では418万1000石余と20万石以上の差がある。また天保9年(1838年)の天領総石高は『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では419万4211石余とあるのに対し、『天保九年戌年御代官並御預所御物成納払御勘定帳』では419万1968石6斗5升8合9勺9才、天保12年(1841年)の天領総石高は『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」では416万7613石余とあるのに対し、同じ向山誠斎の著作である『丙午雑記』所収の「天保十二丑地方勘定下組帳」では412万2044石3斗0升8合9勺8才と、微妙に数字が異なる。

以下に『大河内家記録』と『癸卯日記』所収の「御取箇辻書付」による天領の石高・年貢高の変遷の詳細を示す。譜代の大名や旗本への加増・改易・減封や臨時の役知の支払いは天領を切り崩して行われるため、天領の所領・石高は年度毎に必ず変動する[5]

「御取箇辻書付」による天領総石高・年貢高の変遷
(慶安4年(1651年)?天保13年(1842年))和暦年 / 西暦年石高 (石余)年貢高 (石余)内米 (石余)内金 (両余)
 
慶安4年[注1 1]16511,590,910665,280
承応元年[注1 1]16521,602,290598,320
承応2年[注1 1]16531,610,910608,760
承応3年[注1 2]1654
明暦元年[注1 2]1655
明暦2年[注1 3]16561,224,900427,120275,20060,769
明暦3年16572,925,4701,119,530966,03061,390
万治元年16582,916,5401,033,550887,97058,220
万治2年16592,918,6001,114,270966,95058,920
万治3年16603,064,770979,050837,21056,730
寛文元年[注1 3]16611,132,750422,390274,94058,980
寛文2年16622,734,3901,099,600957,27056,940
寛文3年16632,663,100880,760764,49046,505
寛文4年16642,793,3601,073,170918,90054,205
寛文5年16652,829,9501,053,970897,76054,960
寛文6年16662,872,2201,033,310892,33048,810
寛文7年16672,900,9501,042,360895,67051,089
寛文8年16682,852,6301,010,610904,18036,820
寛文9年16692,925,450965,900815,30053,140
寛文10年16702,994,6601,057,460902,17053,120
寛文11年16712,974,7501,130,750971,39054,720
寛文12年16722,882,9501,031,520854,79061,050
延享元年[注1 3]16731,406,560465,940297,00058,760
延享2年[注1 3]16741,432,720427,730264,37056,070
延享3年16753,136,2701,074,890876,80069,520
延享4年16763,106,2501,110,620831,19073,910
延享5年16773,096,6301,196,460969,52080,940
延享6年16783,130,1601,200,400985,59077,380
延享7年16793,007,2001,121,840948,55068,900
延享8年16803,262,250942,590740,44079,110
天和元年16813,401,2701,026,270851,75069,390
天和2年16823,640,2001,269,8801,013,72092,300
天和3年16833,210,5601,116,150839,110100,340
貞享元年16843,433,7701,177,310910,96097,710
貞享2年16853,414,1301,094,570869,50093,630
貞享3年16863,554,9301,218,940961,18997,380
貞享4年16873,731,4001,179,030942,23089,200
元禄元年16883,813,0001,242,320981,83096,940
元禄2年16893,972,9101,348,2701,061,690107,350
元禄3年16903,880,0001,385,8201,101,120106,130
元禄4年16913,971,3001,353,5801,078,510102,390
元禄5年16924,013,8401,402,1201,114,410107,809
元禄6年16934,034,4901,307,7401,034,370101,710
元禄7年16943,955,5601,315,4801,058,51096,610
元禄8年16953,887,1801,276,3701,000,470102,990
元禄9年[注1 4]16964,136,9001,314,830
元禄10年[注1 4]16974,346,5001,386,400


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