天覧試合
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巨:長嶋12号(5回・小山)、坂崎5号(5回・小山)、王4号(7回・小山)、長嶋13号(9回・村山)

審判
[球審]
[塁審]津田、国友、円城寺
[外審]富沢佐藤

阪神
打順守備選手
1[遊]吉田義男
2[二]鎌田実
3[三]三宅秀史
4[一]藤本勝巳
5[左]中大津淳
6[右]横山光次
7[中]並木輝男
遠井吾郎
西山和良
8[捕]山本哲也
9[投]小山正明
村山実

巨人
打順守備選手
1[左]与那嶺要
2[遊]広岡達朗
3[中]藤尾茂
4[三]長嶋茂雄
5[右]坂崎一彦
6[一]王貞治
7[二]土屋正孝
8[捕]森昌彦
9[投]藤田元司


天覧試合開催の経緯

2005年(平成17年)2月9日にNHK総合テレビで放映された『その時歴史が動いた』の中で天覧試合について取り上げている。同番組による経緯は以下のとおり。

当初から巨人 - 阪神戦で天覧試合を開催するという決定ではなく、パシフィック・リーグでも天覧試合を開催したい意向があった。昭和天皇は水道橋方向(後楽園球場)を眺めていた時「あの灯りは何か?」と侍従に尋ねると「プロ野球のナイター試合であります」と答え、関心を示した。それを伝え聞いて、「絶好の機会にしよう」と考えた巨人軍のオーナーでもある読売新聞社社主・正力松太郎が「野球人気を高めるためには天覧試合を開催することが必要だ。それも巨人戦で」と宮内庁に交渉するように命じた。1959年(昭和34年)1月、正力と部下が宮内庁と交渉をすると宮内庁は「単独の球団での要請では動けない。球界全体の総意が必要」と答える。それ以後、パ・リーグに気づかれないように交渉するも昭和天皇の公務の関係でスケジュール調整が進まなかった。

一方、パ・リーグ側も映画試写会に昭和天皇を招いた大映社長の永田雅一が、当時自らオーナーを勤めた毎日大映オリオンズ - 西鉄ライオンズの試合を天覧試合にするように毎日新聞皇室担当記者を介して説得した。

同年6月19日、宮内庁から正式な回答があり、「6月25日午後6:45ご出門。プロ野球ご観覧のため後楽園球場にお出になられます」と、正式に同日の巨人 - 阪神戦を天覧試合とすることになった。永田は「神(昭和天皇)がプロ野球をご覧になるのは球界のためにも名誉になる。ごたごたを起こすわけには行かない」と語り、オリオンズの試合ではないことに異議を言わなかったという。

試合当日、パ・リーグからは試合の解説として当時の連盟会長・中澤不二雄が唯一参加した。

当時のエピソードとして、正力とともに天皇の側で観戦していた後楽園スタヂアム社長・真鍋八千代は、正力が「長嶋にホームランが出そうだから、見ていようではないか」と真鍋に囁き、その予想を見事的中させ、このシーンを望んだはずの当の本人が一番信じられない面持ちで突っ立っていたと話している。
その他

試合後、両チーム関係者に恩賜の煙草が配られた[8][9][10][11]

これ以降、プロ野球公式戦では天覧試合は行われていない。
社会人野球

太平洋戦争後、日本野球界において初の「天覧試合」は、1947年(昭和22年)8月3日第18回都市対抗野球大会の開幕戦、大日本土木 - 豊岡物産戦(後楽園球場)であった。当時はプロ野球よりも学生野球、社会人野球の人気が高かったことから、同大会では開会式に昭和天皇を始めとして皇族6人が列席するなど華やかな雰囲気に包まれて開会式が執り行われた。

1969年(昭和44年)の第40回都市対抗野球大会準々決勝の日本生命 - 富士重工業戦(後楽園球場)が大会2度目の天覧試合となり、昭和天皇と香淳皇后が観戦した[12]

その後、社会人野球における天覧試合は途絶えて久しかったが、2014年(平成26年)7月29日第85回都市対抗野球大会決勝の西濃運輸 - 富士重工業戦(東京ドーム)を天皇明仁と皇后美智子が6回表から観戦した。天皇が都市対抗野球を観戦するのは、皇太子時代の1959年(昭和34年)、第30回大会準々決勝の倉敷レイヨン - 大昭和製紙戦以来55年ぶりで、皇后は初観戦となった[13]
サッカー

サッカーで「天覧試合」が初めて挙行されたのは、1947年(昭和22年)4月3日明治神宮競技場での東西対抗サッカー対抗試合である。当日は神宮競技場に昭和天皇と皇太子明仁親王を迎えて東西の精鋭選手による試合が行われ、両軍譲らず2 - 2で引き分けたという。この天覧試合がきっかけとなり日本サッカー協会に天皇杯が下賜されることとなった[14]

その後、1999年(平成11年)12月26日第79回天皇杯全日本サッカー選手権大会で、天皇明仁と皇后美智子が準決勝の名古屋グランパスエイト柏レイソル戦(国立霞ヶ丘競技場陸上競技場)を観戦[15]2002年(平成14年)6月30日2002 FIFAワールドカップ決勝戦のブラジルドイツ戦(横浜国際総合競技場)も観戦した[16]
ラグビーフットボール秩父宮ラグビー場の貴賓室にて日本選手権を観戦する天皇明仁と皇后美智子(2014年2月23日)

2014年(平成26年)2月23日に開催された第51回日本ラグビーフットボール選手権大会2回戦(準々決勝・秩父宮ラグビー場、当日のカードは東芝ブレイブルーパストヨタ自動車ヴェルブリッツ神戸製鋼コベルコスティーラーズヤマハ発動機ジュビロの2試合)を天皇明仁と皇后美智子が観戦した。ラグビー公式戦の天覧試合はこれが初となった[17]。なお、観戦を行ったのは神戸製鋼対ヤマハ発動機戦の後半のみであり、東芝対トヨタ自動車戦は厳格には天覧試合とはならなかった。なお、週刊誌の報道によれば、天覧試合には俳優の大沢たかおが訪れており、神戸製鋼を応援していたという。

2016年(平成28年)6月25日に、東京スタジアム(味の素スタジアム)で開催されたラグビー強化試合 日本スコットランド戦を、後半開始から、天皇明仁と皇后美智子が観戦した。日本国内でのラグビーフットボールの国際試合が天覧試合となるのはこれが初であった[18]

なお、日本代表のマレ・サウ(ヤマハ発動機)は、前述する2試合にフル出場している。また、木津武士(神戸製鋼)も、前述する2試合に出場している(ヤマハ発動機戦はフル出場しているが、スコットランド戦は途中出場)。
全米アメリカンフットボール


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