天竺
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16世紀半ば、インドに拠点を築いたヨーロッパ人が日本に到来した。フランシスコ・ザビエルらによるキリスト教布教の初期、キリスト教は仏教の一派「天竺宗」であると受け取られたという。ヨーロッパ人(日本では「南蛮人」と認識されるようになった)のもたらした地理認識によって、インド亜大陸は「いんぢあ」などの地名で把握されるようになり、インド亜大陸と「天竺」は一致しなくなった[28]。一方で、仏教の盛んな東南アジアを、仏教発祥の地である「天竺」と見なす認識が強まった[29]。たとえば、16世紀末から17世紀初頭に作成された地図には、インドに「南蛮」、シャム(現在のタイ)付近に「天竺」と地名を記すものも存在する[30][14]

元和年間に「交趾国」(現在のベトナム中部)に漂着した茶屋新六(茶屋新六郎)は、ダナンの五行山(英語版)を達磨大師の生誕地と考えた[31]カンボジアアンコール・ワットには、寛永9年(1632年)に訪問した森本一房(右近太夫)をはじめ、日本人参拝者の墨書(落書き)が複数遺されているが[32]、彼らはアンコール・ワットを祇園精舎と信じていた[33]。寛永年間に2度にわたり朱印船でシャム(現在のタイ。当時はアユタヤ王朝)に渡航した播磨国高砂の徳兵衛(後世「天竺徳兵衛」の名で呼ばれる人物)は、自らが「天竺」の「まがた国」に渡ったと認識しており、徳兵衛が書いたとされる渡航譚には「中天竺の名」として「とんきん」(トンキン)・「かうち」(交趾)・「ちやむは」(チャンパ)・「るすん」(ルソン)・「かほうちや」(カンボジア)の地名を列記している。寛永3年(1626年)に山田長政が静岡の浅間神社に奉納した絵馬には「天竺暹羅国住居」と記されており、山田長政は自分を「天竺」に含まれる「暹羅国(シャム)」に住んでいると認識していた[23][注釈 3]

再びインド亜大陸と「天竺」の認識が結びつくのは、1602年に中国で作成された『坤輿万国全図』が日本に紹介されて以後となる[34]
「天竺」の名称で呼ばれるもの

日本では原義から離れて、はるか彼方の異国から渡来した珍しい品物に対して、天竺という接頭辞を付けるという使い方も生まれた。

ダリアのことをかつて「天竺牡丹」と呼んだが、これはダリアが日本にはオランダ人によってもたらされたからである。

一般にモルモットと呼ばれる齧歯類は「テンジクネズミ(天竺鼠)」の名でも呼ばれるが[35][注釈 4]、江戸時代にオランダ人によって日本にもたらされたもので、原産地は南アメリカ大陸である。

平織の綿織物の一種に「天竺木綿」と呼ばれるもの(単に「天竺」とも言う)があるが、これについてははじめインドから日本に輸入されたからとも[37]、外来のものの意味ともいう[38]

このほか、味噌の中に唐辛子を入れたものを「天竺味噌」と呼ぶなど、「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}唐(から)過ぎる(=辛すぎる)と天竺に至る」という洒落をきかせた命名もあった[1][39]
大衆文化と「天竺」

現代日本では、『西遊記』で玄奘ら一行が取経に向かった地は「天竺」と認識することが多い。ただし『西遊記』原文には天竺の語はあまり現れず、通常は西天(『西天竺』の略)と呼んでいる。
脚注[脚注の使い方]
注釈^続日本紀』には「婆羅門僧」とはあるものの出身国名は明記されていない[17]僧綱関係の史料には「南天竺」のほか「西天竺」出身とする記録もあるが、後世の僧伝では南天竺出身とされる[18]。「南天竺」は菩提僊那の実際の出身地というよりは、龍樹(ナーガールジュナ)が南天竺出身であることや、「南天竺鉄塔伝承」に寄せた一種の称号ではないかとの指摘もある[13]
^ 「金剛三昧」についての記録は日本にはない。
^ 山田長政については実在性・史実性を疑う説もあるが、この場合でも「山田長政」が「天竺」の住人であるという認識が絵馬奉納者にはあったことになる[23]
^ 「テンジクネズミ」は、モルモットを含めテンジクネズミ科に含まれる種の総称とされる[36]

出典^ a b “天竺”. 精選版 日本国語大辞典. 2022年7月31日閲覧。
^ 『漢書』張騫・李広利伝「吾賈人往市之身毒国。」注「李奇曰:一名天篤、則浮屠胡是也。」
^ E.G. Pulleyblank (1962). ⇒“The Consonantal System of Old Chinese”. Asia Major, New Series 9 (1): 117. ⇒http://www2.ihp.sinica.edu.tw/file/1110cxVuiEg.PDF
^ a b 道宣続高僧伝』巻二:「賢豆」、本音「因陀羅婆陀那」、此云「主処」。謂天帝所護故也。「賢豆」之音、彼国之訛略耳。「身毒」・「天竺」、此方之訛称也。
^ 玄奘、水谷真成訳『中国古典文学大系』平凡社、1971年、56頁。doi:10.11501/12574199。全国書誌番号:.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}75025916。https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/12574199。 
^ kotobank 天竺
^ 石ア貴比古「天竺の語源に関する一考察」『印度學佛教學研究』第69巻第2号、2021年、951-947頁、doi:10.4259/ibk.69.2_951。 
^ “五天竺”. 精選版 日本国語大辞典. 2022年7月31日閲覧。
^ a b 石崎貴比古 2014, p. 96.
^ a b c 小島裕子 2019, p. 213.
^ “往五天竺国伝”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2022年7月31日閲覧。
^ “天竺之図”. 神戸市立図書館. 2022年7月31日閲覧。
^ a b 小島裕子 2019, p. 214.
^ a b c d e “天竺=インドではなかった? 研究者・石崎貴比古が明かす、日本人の天竺観の変化”. リアルサウンドブック (2021年6月6日). 2022年6月22日閲覧。


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