天神祭
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本宮が月・水・木・金・日曜日と重なる場合[8] に当該時間帯で放送されるテレビ東京制作のレギュラー番組については、水 - 金曜日であれば本来の『土曜エンタテインメント』枠[9]、月曜日であれば翌日(火曜日)の同じ時間帯(ローカルセールス枠)で振替放送を実施する[10]

テレビ大阪本社(大阪市中央区大手前)の屋上から奉納花火を一望できることを踏まえて、生中継に際しては、屋上に進行用の舞台(放送上の呼称は「スタジオ」)や屋台を設置。西川きよしハイヒールリンゴモモコ)が総合司会、テレビ大阪のアナウンサーから1名が進行役を務めるほか、同局制作のレギュラー番組の出演者(主に『おとな旅あるき旅』の三田村邦彦)や演歌歌手(主に大阪府出身者)をゲストに迎える。出演者は全員浴衣姿で、スポンサーから屋台などを通じて提供される飲食物を摂取しながら生中継を進行。基本として奉納花火が出演者の背後に映るような配置で放送しているが、中継の随所で出演者が花火を鑑賞できるように、舞台は複数のスタッフが両手で押しながら回転できるように設計されている。また、大阪天満宮の境内(または門前)から宮入り、列外船の上から花火打ち上げ、天満宮に近い天神橋筋商店街から賑わいの模様を随時中継。平成時代最後の開催であった2018年の生中継からは、ヘリコプターによる大阪市および周辺地域の空撮中継も取り入れている。

その一方で、地上デジタル放送移行後の2015年以降は、生中継にマルチチャンネル編成を採用。サブチャンネル(073チャンネル)では、船渡御と奉納花火の映像を、千年屋俊幸アナウンサーのナレーションや進行で紹介する。千年屋がテレビ大阪を定年で退職(フリーアナウンサーへ転身)した2019年には、FM大阪(当時の愛称は「FM OH!」)とのコラボレーション企画を実施する関係で、同局の番組パーソナリティから1名がサブチャンネルの進行に加わっていた。

なお、新型コロナウイルス感染拡大の影響で神事のみ執り行われた2020年にも、本宮の夜に特別番組を編成。大阪天満宮境内からの生中継をベースに、前年までの放送の同録映像から厳選した名場面集を織り込んだ。前年に続いてFM大阪とのコラボレーション企画も実施されたが、テレビ大阪では放送時間を例年の2時間から40分(19:20 - 20:00)に短縮。出演者も、テレビ大阪のアナウンサー(福谷清志川北円佳坂本七菜)と大阪市長(民選第21代)松井一郎(特別ゲスト)に限定した[11]

本宮が日曜日であった2021年には、1982年の開局以来初めて生中継を見送った代わりに、当日の11:52 - 12:40に『今日は天神祭!皆さん、ご苦労さまです?伝統の祭りを支える人たちに密着?』という事前収録のドキュメンタリー(リポーター:石田靖笑い飯哲夫)を編成した。前年と同じ事情で神事のみ執り行われたことに加えて、前年に見送られた2020東京オリンピックの開催が決まったことに伴って、テレビ東京系列担当分の男子競泳競技予選中継を当日の夜に同時ネットで放送したことによる。

テレビ大阪が開局40周年を迎えた2022年には、船渡御と奉納花火の再開が見送られたことから、前年に続いて生中継を断念。天神祭や大阪の歴史を物語るスポットをモーリー・ロバートソン豊崎由里絵(テレビ大阪の開局に協力していた毎日放送出身のフリーアナウンサー)と高島幸次(大阪天満宮文化研究所の研究員を務める歴史学者)が巡るロケを天神祭の開催前(7月上旬)に実施したうえで、収録映像に桂吉弥のナレーションを添えた特別番組『天神祭さんぽ?歩けばわかる浪花の今昔?』を本宮当日(月曜日)の15:32 - 16:29に放送した。

2023年には、船渡御と奉納花火が復活することを受けて、テレビ大阪が本宮の生中継を7月25日(火曜日)の18:25 - 20:54に再開。司会は休止前と同じく西川きよしとハイヒールで、ヘリコプターからの空撮中継も前田拓哉(テレビ大阪アナウンサー)の実況リポートで復活させたほか、放送枠を休止前から30分ほど拡大させた。また、「天神祭2023予習復習スペシャル」と銘打って、『今日は天神祭!皆さん、ご苦労さまです』を7月23日(日曜日)の11:36 - 12:24、『天神祭さんぽ』を宵宮(24日)の17:30 - 18:29に再放送[12]。生中継では休止前と同じく、開局以来41年間本社に使用してきた日経大阪電波会館の屋上に、人力でのみ回転できる進行用の舞台(前述)を設置した。もっとも、テレビ大阪では日経大阪電波会館の近隣で建設中の複合施設(ダブルツリーbyヒルトン大阪城)に2024年4月から本社機能と演奏所を移転させることが決まっているため、この会館から天神祭の中継を進行する体制を2023年で終了させている。
天神祭に参加するには?

一般参拝(観覧)客としてではなく天神祭の神事や祭事に参加するには基本的に講に所属しなければならない。天神祭はあくまで大阪天満宮の氏子による祭事であるためである。しかしながら、講の条件は厳しくなく、大阪天満ライオンズクラブ奉仕講など新しい講も認められている。また、講の人員不足のためアルバイトボランティアといった形で参加することもできる。他には市民奉拝船の公募に応募したり、帝国ホテルの奉拝船のチケットを購入して船渡御に参加する手段もある。清掃ボランティアも募集しており、天神祭清掃ボランティア天神祭美化委員会(ダストバスターズ)に参加する方法もある。
用語

天神祭には講または講社と呼ばれる団体があり、この講が天神祭を支える大きな役割となっている。講の起源は詳しく明らかになっていないが、古い講は江戸時代よりあったと言われている。元々、講とは同じ志を持った集団であり、天神祭に奉仕するために、商人の町であった特徴上、米問屋や八百屋など各同業団体などで集まってできた。一般参拝(観覧)客としてではなく天神祭の神事や祭事に参加するには、基本的に講に所属する必要がある。大阪天満宮の講をまとめる大阪天満宮講社連合会があり、天神祭の基本的なことはこの会で決められる。現在の講社連合会会長は天神講獅子の講元、森本幸一である。主な講社は、催太鼓の太鼓中(たいこなか)、天神祭で渡御列でご神体をお乗せする御鳳輦講(ごほうれんこう)、鳳神輿の菅南連合鳳講、玉神輿の中央市場玉神輿講、だんじり囃子の地車講(じぐるまこう)、獅子舞の天神講獅子、牛曳童児の福梅講、米穀商の御錦蓋講(おきんがいこう)、御神酒講、花商組合の榊講、船渡御の船を世話する御船講(おふねこう)、どんどこ船のどんどこ船講、出版業界の御文庫講、丑日講、天神橋商店街の御羽車講(おはぐるまこう)[この講の23日の御羽車巡行にあわせてギャルみこしが行われている]、など現存する講社は25団体である。講によって太鼓中は催太鼓、地車講は境内でのだんじり囃子の演奏、踊りを奉納するなどと役割が決まっている。しかしながら上記でも述べたが、講を構成する人員も年々減少しているため、アルバイトやボランティアなどの参加が増加している。とりわけボランティアはダストバスターズと呼ばれる清掃ボランティアが活躍している。
催太鼓

天神祭の陸渡御の先頭を切る枕太鼓台で6人一組で3人ずつで大太鼓を挟んで叩く。叩き手は「願人(がんじ)」と呼ばれ、特徴としては長い赤い布が垂れ下がった投げ頭巾と呼ばれる烏帽子に似た帽子をかぶり背中に背ブチと呼ばれる木の棒を背負おっている。願人が打つ太鼓を担ぐ人を「舁ぎ方(かつぎかた)」と言い、舁ぎ方を3年以上経験しなければ花形である願人にはなれない。後、舁ぎ方と願人を統率する「采頭(ざいがしら)」と「采方(ざいかた)」がいる。太鼓の演奏法は独特で大阪府の無形民俗文化財(記録選択)となっている。

催太鼓の特徴は「からうす」である。からうすは催太鼓の太鼓台の下に丸太を挟み、その丸太を軸にしてシーソーのように揺らしながら太鼓を叩く豪快な技である。縦に揺れる縦からうすと横に揺れる横からうすがある。願人は落とされないように縄にしがみつきながら太鼓を叩くが、この時でも投げ頭巾が落ちないようにしなければならない。
御迎人形御迎人形

御迎人形は元禄期に祭の前に町内に飾られ、祭になると船に高く人形を掲げて神霊を迎えたことが始まりとされている。当時の人形は2メートルほどであったが、享保年間の人形芝居の隆盛により4メートル以上ある大型の御迎人形も製作されるようになった。弘化三年の『天満宮御神事御迎舩人形図会』によると44体あったが、維新や戦禍で多くが焼けてしまい15体になった(うち14体は大阪府有形民俗文化財)。御迎人形の多くは歌舞伎物を題材としており、他には羽柴秀吉坂田公時関羽など和漢の歴史や物語の人物が多い。天神橋筋商店街の天神橋筋2丁目アーケードに御迎人形をモティーフにした人形を見ることができる。

御迎人形の逸話として文政7年に御迎人形の阿部保名に恋をした天満青物市場の娘さわの話が残っている。

残っている15体は天神祭の期間中数体が境内で展示される。
どんどこ船どんどこ船

どんどこ船の起源は前述の御迎人形をかざった船から来ている。元々は伝馬船を使っていたため伝馬ともてんまとも呼ばれる。名前の由来はどんどこと音をかき鳴らしながら進む姿から来ているとされている。鉦太鼓に合わせて28人の漕ぎ手が一斉に櫂を漕いで進む姿は勇壮である。

どんどこ船は陸渡御には参加せずに大川を下り祭の開催を知らせる役目を担っている。船渡御になると列外船の一つとして祭を盛り上げる役目を担う。高校生から大人が乗船しているどんどこ船(木場若中)と、小中学生が乗船している子供どんどこ船(木場小若)の現在2つの船が活躍中。木津川・土佐堀川・大川・東横堀川・道頓堀川を縦横無尽に行き来する様は大阪夏の風物詩の一つとして有名。

24日の鉾流神事の際に神鉾を拾い上げる御鳥船(おとりぶね)もどんどこ船(木場若中)のメンバーが太鼓を打ち鳴らし、櫓と櫂の人力で航行。※宮入り(どんどこ船を陸に上げ、船ごと境内に入る)の際に神鉾を返す役目もどんどこ船講(木場若中・木場小若)が行っている。

大阪府内における唯一の手漕ぎ船の伝統行事として、また全国的に見ても希少な漕ぎ方を伝承しており、貴重なものとして、平成31年3月22日に大阪府の無形民俗文化財(記録選択)に指定された。
龍踊り

天神祭の龍踊りは長崎(“ジャおどり”と発音)・中華街神戸南京町春節祭での複数人で龍の人形を操って踊るそれとは異なり、龍が天に昇るさまを模して踊る。


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