天神ビブレ
Tenjin VIVRE
地図
店舗概要
所在地〒810-0001
福岡県福岡市中央区天神一丁目11番1号
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度35分26.9秒 東経130度24分0.2秒 / 北緯33.590806度 東経130.400056度 / 33.590806; 130.400056 (天神ビブレ)座標: 北緯33度35分26.9秒 東経130度24分0.2秒 / 北緯33.590806度 東経130.400056度 / 33.590806; 130.400056 (天神ビブレ)
開業日1982年3月20日
(旧・ニチイ天神店 1976年11月6日)
閉業日2020年2月11日
正式名称天神ビブレビル[1]
施設所有者株式会社因幡
施設管理者株式会社因幡
敷地面積2,430.25 m²
建築面積2,300.27 m² (建蔽率95%)
延床面積23,809.96 m²
商業施設面積9,510 m²
営業時間10:30 - 20:30
前身因幡町商店街
↓
ニチイ天神店・天神一番街
(天神第1名店ビル)
↓
天神VIVRE21
最寄駅.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
西鉄福岡(天神)駅
空港線天神駅
七隈線天神南駅
最寄IC福岡高速環状線天神北出入口
外部リンク公式サイト(閉店直前のアーカイブ)
OPA
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天神第一名店ビル/天神ビブレビル[注釈 1]
情報
用途店舗
設計者株式会社東京浦辺建築事務所
施工株式会社竹中工務店
大成建設株式会社
株式会社間組
(共同企業体)
建築主福岡市天神1丁目第1防災建築街区造成組合
地権者:個人28名
事業主体福岡市天神1丁目第1防災建築街区造成組合
管理運営天神第一防災ビル株式会社
構造形式鉄筋コンクリート構造(一部BC造)
敷地面積2,430.25 m²
建築面積2,300.27 m²
延床面積23,809.96 m²
階数地上8階・地下3階・塔屋2階
竣工1976年11月5日
所在地〒810-0001
福岡県福岡市中央区天神一丁目11番1号
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天神ビブレ(てんじんビブレ)は、かつて福岡県福岡市中央区天神において株式会社OPAが運営していた商業施設。ビブレ業態の1号店である。2020年2月11日に閉店。 もともと当地には、因幡町商店街や西鉄商店街
開業までの経緯
開店当初はニチイの直営売り場は1階の半分程度と2階以上であり、それ以外の部分は地元商店主らによる「天神一番街」エリアとなっていた[注釈 4]。それに合わせて、商店主らを中心としたテナント会「天神第1名店ビル商店会(現:天神ビブレ商店会)」を結成している[5]。また、開業時から1990年代までは当店のみまたは西新ビブレ共通のCMを制作・放送していた[6][7]。 1976年(昭和51年)11月6日に、ニチイ天神店(ニチイ天神ショッピングデパート)が天神第一名店ビルの核店舗としてオープンした[3]。ニチイ天神店は繁華街にある都市型店舗として出店されたが、岩田屋や博多大丸、天神コア、ダイエーなどの競合店が密集する激戦地であったことや、若者向けのエリアに30代から40代をターゲットにする総合スーパーを開店させたという客層に対するミスマッチから業績を伸ばすことができなかった。これは出店以来単年度黒字を一度も計上することができなかった点からもわかる[8]。 そこで、ニチイ(当時)は1982年(昭和57年)2月にニチイ天神店を閉店し、後のマイカルの語源ともなった「YOUNG MIND」(ヤングマインド)をキーワードに、大学生やOLなど20歳前半の若者をターゲットにした店舗として1ヶ月間の改装工事を施してビブレに業態転換。1982年(昭和57年)3月20日に天神ビブレ21としてリニューアルオープンした。これまでニチイの主力であり強みでもあった衣料品部門を大幅に縮小して雑貨を増やし、更には専門店を大幅に増やしたことが特徴であった。しかしながら、購買力のない若年齢層(10代の中学・高校生など)が来客者の大半を占めるという、更なるターゲットの読み違いが発生した[8]。理由としては、内装をピンク色にするなどの政策ミス、顧客が新しい店舗ブランドへ慣れてなかったことなどがあげられ、スタッフはリニューアル1週間ほどで失敗に気づくことになる[9]。これらの問題や周辺競合店の相次ぐ改装も重なったこともあり、1982年11月に天神ビブレ21は、更にターゲット層の業態に即した店舗にリニューアルした[8]。後に、店名を「天神ビブレ」に変更している。 1997年(平成9年)には道路を挟んで東側のビル(旧:天神東急プラザ)に「天神ビブレ2」を開業した[10][11][12]が、マイカルの破綻に伴い開業から数年後の2001年(平成13年)2月25日に閉店した[13]。
開業後の推移