天正遣欧少年使節
リスボン近郊シントラのアルベルト・アウストリア枢機卿(フェリペ2世の妹マリアと神聖ローマ皇帝マクシミリアン2世の男子)の王宮に招かれる。
11月25日(旧暦10月23日) - スペインの首都マドリードでスペイン国王フェリペ2世の歓待を受ける。
1585年(天正13年)
3月1日(旧暦1月30日) - スペインのマヨルカ島を経由しイタリアのリヴォルノに到着、トスカーナ大公国に入る。イタリアの地を初めて踏む。
3月2日(旧暦2月1日) - 午後1時にピサに到着。ピサ宮殿にてトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチに謁見。その晩、大公妃ビアンカ・カッペッロ主催の舞踏会に参加。ピサ滞在中、斜塔や大聖堂をはじめとするピサのドゥオモ広場を訪れる。
3月6日(旧暦2月5日) - カヴァリエーリ広場(イタリア語版、英語版)にあるサント・ステファノ・デイ・カヴァリエーリ教会(イタリア語版、英語版)にて聖ステファノ騎士団(イタリア語版、英語版)を見学する。この日は四旬節の初日である灰の水曜日であったため、トスカーナ大公とともに灰を受ける。
3月7日(旧暦2月6日) - フィレンツェに到着。シニョリーア広場にあるヴェッキオ宮殿に宿泊する。
3月11日(旧暦2月10日) - フィレンツェ近郊にある別荘ヴィッラ・デミドフ(イタリア語版、英語版)(ヴィッラ・プラトリーノ)で過ごす。
3月23日(旧暦2月22日) - ローマでローマ教皇グレゴリウス13世に謁見。ローマ市民権を与えられる。
5月1日(旧暦4月2日) - グレゴリウス13世の後を継いだシクストゥス5世の戴冠式に出席。
6月3日(旧暦5月6日) - ローマを出発。以後ヴェネツィア、ヴェローナ、ミラノなどの諸都市を訪問。途中、アッシジにも巡礼。
1586年4月13日(天正14年旧暦2月25日) - リスボンを出発。帰路につく。
1587年(天正15年)
5月29日(旧暦4月23日) - インドのゴアに到着。ヴァリニャーノに再会。コレジオにおいて原マルティノの演説が行われる。また同月に長崎で大村純忠が死去。
6月 - 豊後において大友義鎮(宗麟)が死去。
7月 - 豊臣秀吉によるバテレン追放令発布。
1590年7月21日(天正18年旧暦6月20日) - 使節団帰国。長崎に帰港。
1591年3月3日(天正19年閏1月8日) - 聚楽第において豊臣秀吉を前に、西洋音楽(ジョスカン・デ・プレの曲)を演奏する。
使節団が持ち帰った西洋の文物
活版印刷機
西洋楽器
西洋絵画
海図
大型西洋馬(アラビア馬)1頭?聚楽第で関白豊臣秀吉に拝謁後献上
記念碑等
4名全員の群像
長崎県大村市 - 「天正遣欧少年使節顕彰之像」(1982年、使節の出発400年を記念して建立)[15]。
伊東マンショ
宮崎県西都市都於郡城趾 - 「伊東満所像」
宮崎県日南市日南駅駅前広場 - 「伊東マンショ像」
大分県大分市遊歩公園 - 「伊東ドン・マンショ像」(彫刻家北村西望による作品)[16]
千々石ミゲル
長崎県雲仙市雲仙市役所千々石総合支所前庭 - 「千々石ミゲル像」[17]
長崎県雲仙市釜蓋城趾 - 「千々石清左衛門碑」[18]
中浦ジュリアン
長崎県西海市西海町中浦「中浦ジュリアン記念公園」西側隣接地?「中浦ジュリアン顕彰之碑」
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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