天使のたまご
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登場する意味深げなモチーフは聖書におけるシンボルの暗喩で、例えば「魚」は「言葉」、「鳥」は「命」を意味するなどが挙げられるという考察もある[6]。原画担当だった当時若手の貞本義行曰く、この時の押井は聖書のシンボル事典を横に置いて作業していたという。全体のモチーフは、押井が影響を受けたアンドレイ・タルコフスキーの『惑星ソラリス』に酷似している[7]

この作品自身もビデオソフト[8]が後に廃盤になり、DVDなどで再発されるまでの間、作品の入手手段が完全になくなる不遇の時代を経験している。監督料はもらわずに、制作者印税のみの契約だったが[9]、印税はほとんど入らなかったので貧乏生活を送った。
製作
背景

当初押井はこの作品を、「わけのわからない連中がたむろする24時間営業のコンビニエンスストアに、何故か毎夜8時になると空から方舟が降りてくる[10]。ある日卵を抱えた少女が突如方舟から降りてくる[11]」という、コミカルで軽い雰囲気に仕上げようと考えていた[12]そうだが、天野の絵を見た途端に「このキャラで現実の日本を舞台にするのは辛い」[10]「これはまっとうなファンタジーでやらないと駄目だ」と考えを改めた。

基本コンセプトは「基本は固定された画面で進行し、フォロー・ショット、パンは使わない」[13]「時代の中の無意識を取り出す。それに成功すれば、観客個人の無意識の中にある風景に共感してくれるのではないか」「語っても言葉にならない部分を伝えて、時代を違った角度から明かす」[3]「日常を忘れてスカッとさせるのではなく、観客が予想もしなかった物を見つけ出す喜びを見出せるようなエンターテイメント作品を作る」[14]「「物語性は極力排除して、シンプルにする。アニメーションの面白くて、豊かな表現力を積み重ねて、その上で物語性を出す様にする」」[15]カール・グスタフ・ユング分析心理学の『元型』『集合的無意識』の要領であらゆるモチーフを象徴的表現・暗喩で埋め尽くす」[16]事とした。

「少女と女の境界線は
いったいどこにあるのだろうか
少女がひとりの少年に出会い
少女であることから
解放される日
その日のために用意される
壮大で幻想的な物語
そして現代に蘇える
ノアの箱舟伝説
SFハードメルヘン
「天使のたまご」は
女の子のためのアニメーションです
―『天使のたまご』企画書・前文より。」

?鈴木敏夫(大日本絵画刊「押井守・映像機械論[メカフィリア]」押井守・竹内敦志著p.73より)

企画書は鈴木敏夫が一晩で書き上げたが[16]、その内容は見た押井は「これのどこが『天使のたまご』だ!」と怒る程のいい加減な内容であり[17]、押井は「言いたいことを好き放題言ってやる。全部喋ってダメならそれでもいい」[17]「映画として発表すると企画が通らなくなるし、映画として発表してはいけない」と決意を固め、重役会議の際に押井はスポンサーの徳間書店の当時の専務・常務・社長に対して、「単純な、男と女の物語である」「芸術的な映画だけど、アニメーションでそういうことをやるのが絶対に必要なんだ」「この作品は作家の書き下ろしの小説の枠でやらせてくれ。原作も書くから」「作家として映画を作りたい。だから監督料はいらない。印税だけで監督をやってみたい」と2時間くらい説得した。結果徳間書店のバックアップと制作費8千万円を受け、この『天使のたまご』が世に出ることになった[18][19]。後に企画書はわざと押井を怒らせるために鈴木が用意したダミーであり、押井が言いたいことをスポンサーの上層部に臆せず堂々と言うことで、上層部が監督に対して作家に接する時と同じ敬意を持ってもらうための作戦だった[17]。この経験を通して、押井は「『企画書を会社に認めさせるために、どのような手段が許されるのか』について、深い感銘を受けた」と振り返っている[16]。押井と当時徳間書店の編集者であった鈴木が組んだ初めての作品であり、『天使のたまご』というタイトルも鈴木が考案した(押井が仮でつけていたタイトルは『水棲都市』だったという)。

海外へのロケーション・ハンティングの予算が得られない所か、考えすらなかったため、代わりにフランスの地方都市の写真集を基にして世界観を構想されている。その無人の路地・石畳の舗道・建築の奇怪な意匠・空を映す窓等の写真から、半ば自動的に設定が生まれ、「街の様式や意匠を描写することで物語以前の何かを表現のみで成立させるアニメ」を実現しようと試みた[20]
脚本

押井はシナリオ制作に辺り、「映画・小説・テレビアニメ・劇場アニメ・OVA等、どの世界でも物語を『表現する』ことが難しくなっている。例えば『愛』『勇気』『希望』という言葉が、その内実を掘り下げて伝えるのではなく、単なる記号・情報になってしまっている。メカが登場すれば、作品がどう展開するのかが受け手は読めてしまう。カットやシーンすらも記号になってしまった」と当時の状況を嘆き、それを打ち破る試みとして『寓話』『諷刺』『たとえ話』として構成する様に志し[21]、「オーソドックスな伏線を張って、ラストで結論に結び付く」という説話的な方法論を極力排除して、モンタージュ・間・構成を大幅に曖昧にし、並べ方を分かりづらくし、その中でイメージ同士をぶつけ合うことによって、そこから「どういう作り方が開発できて、プロット・シチュエーションが視聴者にどう見えるか」に挑戦した[22]

最初に押井が「『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』で表現した『女の子の見る夢』を更に推し進める」ことをメインテーマにしたプロットを書き[21]、「企画を通したいから、物語だけではなくて、イメージボードも欲しい」と天野にオファーを出した。プロットの時点で天野は作品の世界観の広さを感じ、「時間があれば幾らでも描けそう」と思いながらも、広がりを留めてコンセプトを固めるために、押井に書きたいテーマをピックアップしてもらった上でイメージボードを書き上げていった。天野が描き上げたイメージボードをアニメーター達に見てもらい、追加して欲しいアイディアを募り、同時にレイアウトシステムも構築していった[23]

正式な脚本の決定稿はないも同然で、事前にメモに書き込んだ「受胎告知」「方舟」「沈む太陽」「夜に十字架を背負って、戦車に乗って訪れる少年」等のアイディアをいきなり絵コンテで描きながら、はめ込んでいった。これは「アンドレイ・タルコフスキーのように起承転結のあるドラマではなく、表現だけで映画を作る」という狙いがあった[24]

セリフの書き方について、「うる星やつら」の場合は「キャラクター同士が饒舌に喋っているけど、一つひとつの言葉に大した意味は持っていない。その中から、何かを新しく表現する」という姿勢で書いていたが、本作では逆の「言葉で表現しようとすると観念的になってしまい、そのままでは社会に出しても通用しない言葉になると思う。だから言葉が出てきそうなシーンでも、徹底的に抑制して、これ以上そぎ落とせない所までそぎ落とす。それが自分の表現にもなる」という姿勢で書いた[25]
デザイン

天野喜孝は単純な「キャラクターデザイン」ではなく、「アートディレクション」という役職になったが、その役割は押井曰く「本来1つの作品を作るために、沢山の各シーンのイメージイラストを描いた。それを壁に貼って、順番を入れ替えたりしながら各シーンのイメージを決定していき、そのシーンを担当するアニメーターがキャラクターを含めてそのシーンを作るものだった。しかし、次第にそこまで手間をかけられず、現場全体が『絵コンテからアニメーターがレイアウトを起こし、キャラクターは設定表を見てそのシーンに描き込む』という流れ作業になってしまった。このままでは作品世界に膨らみが無くなってしまう」と危惧し、絵コンテから原画を描き上げる前に、もう一度天野が絵コンテを元にイメージを膨らませる様にした。それが天野による大量のイメージボードの制作へとつながり、アニメーターはそれを見てもう一度レイアウトを起こしていくことで、世界観に厚みを持たせる様にした[26]

天野はキャラクターのデザイン作業以外にも、大道具・小道具のデザイン、イメージポスターを描き上げ、髪の色・肌の色等フィルム全体の色彩設定を押井と相談しながら決めていった[26]

天野はデザインの際に、影の付け方まで指定したが、線の引き方は作画監督の名倉靖博がまとめた[27]。名倉は押井の「体が普通に動いていても、髪の毛はスローモーション気味に」という演出指示に答えるために、髪の毛の量を多くした。それは線も増えていくことであり、動画スタッフ達からは「動かせない」とクレームが来て、それでも名倉は「やって下さい」と頭を下げた[28]

天野は「僕がまとめて線までやったら、あの感じにはならなかった。名倉君が1本1本こだわって描いてくれたので、驚きながらもピッタリきた」と称賛した[27]


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