小林は事前にアニメーターが描いてきたレイアウトを、事前に押井・天野とイメージボードで統一した「色のない世界」[37]「石柱のレイアウト一つとっても独特の理屈がある。どの様に画面を切り取るかで、奥行きが様変わりするから、それをどこまで制御して、どこを目立たせるか」というコンセプトに合わせて[38]、ゴシック調の世界観を持ち込み、重量感のある世界を作り出していった[39]。そのために、形・線・タッチ・色調・明暗等を全て統一・修正していった[35]。作画スケジュールの半分はレイアウトの修正に費やした。小林は美術・レイアウト以外に色彩設計にも関与したため、半分以上が1枚毎の背景美術の表現力を高める作業となり[40]、カット数は通常の映画の3分の1(71分で約400カット)となった[41]。
小林は、作業の際にまず「上がってきた背景原図を問答無用で消しゴムで消す」所から始めた。当然上げたアニメーター達からは非難が殺到したが、小林は全く動揺せず[42]、消しながら「レイアウトは理屈であり、雰囲気ではない」「明確な理論を持った上で上げなければいけない」「嘘を排除していけば、自ずと画面は存在感を持ったものになる」[43]ということをアニメーター達の目の前で説教した。その叱責は「罵詈雑言」と言ってもいい程にひたすら貶すような言い方だったため、押井は「どうしてそこまで言うんだろう」と引いた。ただ、修正された背景は確実に良くなっていったため、アニメーター達と押井は全く文句が言えず、納得するしかなかった[42]。
押井はこの経験を元に基本的なレイアウトの見方を学び、「『機動警察パトレイバー』以降で、レイアウトをチェックする時に三角定規を手放せなくなった」と語り[42]、後に独自のレイアウトシステムを確立する契機となった[44]。 押井は「作品が持っているリズム・描くことで生まれてくるテンポ・軽さ・躍動感とは全く別の『重い表現』を生み出す」ことを作画表現上のメインテーマとし、中割りの枚数が増えることによって出てくる「表現の不自由さが生み出す奇妙な緊張感」を面白く感じた[45]。 押井は「アニメーターの一人ひとりが、各自にテーマを持ちながら、作品を完成させて欲しい」[46]「1つのカット・シークエンス・シーンが物語を進行させるための記号になるような絵を描いて欲しくない。1つのカットが動くアニメーションとして何かを表現して、訴えるような絵を描いて欲しい」[47]「芝居をただリアルに見せるのではなく、動きがあっても1枚の絵として見せる。動かして、尚且つ緊張感を出す様に」[33]とアニメーター全員に注文し、具体的な指示はほとんど出さなかった。名倉は「ねちっこい演技で、精神的・内面的な物を出したいのではないか」「表情をバッと出すのではなく、抑えてもなお滲み出てくる感情を期待しているのではないか」と解釈し、押井の出したイメージを感覚的に捉えて、自分の感覚で描いた[48]。 名倉は鈴木から誘われる形で参加して、原画スタッフとしての作業に留まる予定だった。当初は作画監督はなかむらたかしが務める予定だったが、「工事中止命令」の作業が大詰めを迎えていたため、なかむらは参加できなくなった。困った押井が名倉が描いたレイアウト・原画が本作の世界観にハマっていたのを見て、押井の独断で名倉を作画監督に任命した[28]。押井はその時の理由に「名倉君が最初に描いたレイアウトの時点で、絵がデリケートで、背景の設定の仕方を一つ取っても、名倉君の表現したいものが込められている。『これならいける』と思った。ひょうたんからコマという感じになったけど、この作品の救世主になってくれた」と語っている[48]。 名倉は作画監督として、小さな演技・細かい表情・目と顔の輪郭を特に注意してチェックした。押井からは「実写の感覚で光が上からくると、顔はお面を被ったようになるから注意して」と指示され、実際に表情の表現で、顔の頬に影を入れると一気に大人っぽくなってしまうため、影の使い方に苦労した[48]。また、今までの現場で作画枚数が制限されていたことへの反動で、3コマでの描写でいい所を2コマにタイムシートの指示を書き換えたり、時には名倉自ら1コマの描写にして、髪・衣服の描写を強調した。実際の作画監督としての修正作業は3ヶ月しかなかったが、「死にそうだったけど、確実に次のステップになった。やってよかった」と振り返り[28]、押井も「最初は作画上の事で話し合ったりしたけど、後半はほとんど任せっぱなしと言ってもいいほど信頼していた」「当初のイメージはもっとシャープな、光と影のコントラストの強い絵だった。でも、『名倉君の繊細なタッチでもいいんだな』と思えた。もうこの作品にピッタリ」[48]「初めての作画監督で、あそこまで自分のやりたい表現を出せるのは並ではない。スケジュールも、彼のペースに上手くのせられてしまった」[49]と名倉の仕事ぶりを絶賛している。 「王立宇宙軍 オネアミスの翼」の企画書のイメージボードの書き方に悩んでいた貞本義行に、押井が「今、天野がイラストを描いているから勉強しに来い」と誘った。貞本は原画を描きながら、天野の仕事を後ろから眺めて、天野からは怪訝な表情をされた[50]。
作画