明治になると神仏分離により神鳳寺は廃寺となり、五重塔などが破却されたが、末寺であった光明院が仏像・諸記録などを引き継いだ。
近代社格制度のもと、1871年(明治4年)5月に官幣大社に列格された。1876年(明治9年)の政府の祭神考証の結果を受け、政府は大鳥連祖神(天児屋命)に祭神を変更した。当然、神社側の反発があったが、1896年(明治29年)の内務省社寺局の通達により変更が確定した。神社側は祭神の日本武尊への復帰をたびたび求めたが、大鳥連祖神に加えて日本武尊を祀ることに至ったのは、国家管理を離れた戦後の1961年(昭和36年)になってからだった。
1905年(明治38年)8月15日、落雷により社殿は焼失し、1909年(明治42年)12月に再建されたのが現社殿である。1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されている。
2018年(平成30年)9月5日、台風21号により、本殿の千木の落下、鰹木の歪み、玉垣の倒壊等の被害を受ける。 境内社 境外社
神階
六国史における神階奉叙の記録
承和9年(842年)10月9日、従五位下から従五位上 (『続日本後紀』) - 表記は「大鳥神」。
天安3年(859年)1月27日、正五位下勲八等から従四位下勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「大鳥神」。
貞観3年(861年)7月2日、従四位下勲八等から従三位勲八等 (『日本三代実録』) - 表記は「大鳥神」。
六国史以後
正一位勲八等 (「大鳥神社流記帳」:平安時代末期から鎌倉時代頃か)[2] - 表記は「天照大明神一所」。
正一位 (『和泉国神名帳』正応2年(1289年)書写本)[2] - 表記は「大鳥大社」。
境内拝殿(真ん中奥)とだんじり
本殿 - 1909年(明治42年)12月再建。
神門
拝殿
手水舎
儀式殿
祈祷殿(第二祈願所)
日本武尊の像
絵馬殿
社務所
大殿
参集殿
崇敬会館
御神木 根上りの大楠
透塀の中に本殿
神門と透塀
拝殿
手水舎
絵馬殿
社務所
御神木 根上りの大楠
摂末社
摂社
大鳥美波比神社
祭神:天照大神、相殿神:押別命・菅原道真・国常立尊・市杵嶋姫命。
摂社、式内社、大鳥五社の一社。1879年(明治12年)に境内に遷座した。1909年(明治42年)に式内社押別神社・菅原神社4社を合祀した。
拝殿がある。
四社合祀殿 - 境内末社。祭神:火鎮大神、宗像大神、稲荷大神、織姫大神。
大鳥美波比神社 拝殿
大鳥美波比神社 本殿
四社合祀殿
大鳥北濱神社
祭神:吉備穴戸武媛命
式内社。大鳥五社の一社、大鳥鍬靫神社。1873年(明治6年)に改称。
大鳥井瀬神社 (堺市堺区宿院町東2丁)
祭神:弟橘媛命
式内社。大鳥五社の一社。1922年(大正11年)に住吉大社と大鳥大社の御旅所である宿院頓宮に遷座した。
大鳥羽衣濱神社 (高石市羽衣5丁目)
祭神:両道入姫命、井戸守稲荷大明神
式内社。大鳥五社の一社、大鳥濱神社。羽衣濱神社とも。慶雲3年(706年)に鎮座した。
祭事
1月1日:元旦祭[3]
1月3日:元始祭[3]
1月第2月曜に:成人祭[3]
2月3日:節分祭[3]
2月8日:事始め(針供養):使い古した針などをコンニャクに刺し日頃の感謝の気持ちを表し供養する[3]。
2月11日:紀元祭[3]
2月17日:祈年祭[3]
3月5日:火鎮社祭[3]
3月15日:日本武尊増祀記念祭[3]
3月20日:春分祭[3]
4月第3土曜日:花摘祭:起源は、平安時代。厄病、災厄除けを祈願して始まる[3]。
5月3日:憲法記念祭[3]
5月5日:子供の日祭[3]
6月中旬:「菖蒲祭」
6月30日:大祓式[3]
7月31日:夏大祭:堺宿院頓宮への渡御が行われる[3]。
8月13日:例祭[3]
9月20日:春分祭[3]
10月第1土曜日:美波比社例祭(地車(だんじり)宮入:鳳だんじり祭り):摂社美波比神社前へ、10基の地車が正装で整列し、お祓いを受ける[3]。
大鳥大社の宮入り
宮入りで大鳥大社 境内へ入っていくだんじり
大鳥居を通り参道を勢いよく駆けるだんじり
大鳥大社境内社 大鳥美波比神社前で整列するだんじり
お祓いを受けるだんじり
お祓いを受けたあと、大屋根に玉串を取り付ける。
各だんじりが大屋根先端部に玉串を取り付けている
宮入りが終了し、境内から出ていくだんじり
動画
大鳥居から勢いよく境内に入ってくるだんじり
宮入が終わり境内から出ていくだんじり