大魔神
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資料によっては、手足から火炎放射を発し、兜から放電し、超能力を持ち、万能レーダー眼とコンピュータの10倍の頭脳を持つとされる[17]

また白い光となって高速飛行する能力を持っており、1作目では山中で武神像から憤怒状態になった後、空を飛んで城内に直接降下し、戦闘に入っている。戦闘が終了すると武神像に戻り、忽然と風化して消滅する。

なお、身長・体重設定は資料によってバラバラであり(下表参照[18])、これについて『空想科学読本3』では「なぜ同じケイブンシャの図鑑同士でも身長だけで3倍も数値が違うのか?」とツッコミが入れられていた[注釈 6]

資料名出版社身長体重
『ガメラ画報』竹書房およそ15尺(4.5 m)(未記載)
『世界怪獣大全集』朝日ソノラマ6 m250 t
『世界の怪獣百科』ケイブンシャ5 m6 t
『怪獣怪人大図鑑』ケイブンシャ15 m50 t

大魔神の造形は、『ウルトラQ』『ウルトラマン』の怪獣造形を担当した高山良策が手がけている[20]。1作目で高山は京都に出張し、武人埴輪に着想を得て、15尺(4.5メートル)の実物大の魔神、人間を掴むシーンのための実物大の魔神の腕、実物大の脚、人間の入るぬいぐるみ、ラストシーンで崩壊する魔神のミニチュアを製作している。高山は併映の『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』でも、バルゴンのぬいぐるみとギニョールの造形を担当しているが、本作で京都出張して多忙だったため、そちらの仕上げはエキスプロダクションが行っている[20]。2作目、3作目の大魔神は、高山の造形物を参考にした村瀬継蔵らエキスプロにより、より軽量なものが製作されている[21][20]

実物大の魔神は、製作費500万円(当時)と3か月の日数をかけて製作された。当初、大魔神の目は電球仕掛けで発注され、高山も作り物の目を仕込んだ頭を制作している。この頭は大き過ぎたのと、役者の目を活かそうとの黒田監督らの意見で没となり、より小さく役者の顔に合わせたものが作り直されている。
現存する大魔神像

1966年当時の撮影に使用された高さ約4.5メートルの実物大魔神像は大映京都撮影所に保管され、ステージ入り口に立っていたが[22]1986年大阪府門真市にあるガレージキットフィギュアメーカーの海洋堂が100万円で引き取り、同社の本社正面玄関の上に保管された[23]。ベルトのバックルが欠落していたので、当時は同社の原型師であった原詠人によって新たに再現造型されたうえ、造形に使用したラテックスが硬化して剥がれ落ちる状態だったため、全身をシリコン樹脂でコーティングされた。

なお、この大魔神に関しては、1トン近い重量物にもかかわらず1986年に置いてあった場所からずれていた[24][要ページ番号]、1991年ごろの深夜にホビー館内部を巨大なものが歩いているような足音がした[25][要ページ番号]、といった逸話がある。

この実物大魔神像とは別に、映画イベント用に製作された高さ5メートルの大魔神像が存在し、1999年以来、製作会社の倉庫に眠っていたが、2013年3月14日、大映通り商店街(京都市右京区太秦)のスーパーにっさんクオレ太秦店(現・にっさん太秦店)の前に設置され、「キネマのまち・太秦」のシンボルになっている[26]
漫画化
大魔神
1967年(昭和42年)、映画公開から1年半後に漫画雑誌『少年現代』(現代芸術社
)の8月創刊号に前篇50頁(扉絵はカラー)、9月第2号に後篇48頁が掲載された。漫画:岸本修、原作:吉田哲郎、映画本編に忠実な内容となっている。
大魔神逆襲
少年ブック』(集英社)の1967年正月増刊号付録として発行された。ほかに『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』と『大巨獣ガッパ』の漫画も併載された。
リメイク企画

TBS橋本洋二プロデューサーの企画で、湯浅憲明監督、脚本家の佐々木守との三者でテレビシリーズ化が検討された。佐々木はかなり乗り気だったが、テレビの予算の問題に加えて『大魔神』はストーリーのパターンが限られており、毎回新味を見せるのは作劇的に無理との理由で流れている。企画の時期は湯浅監督によると、『おくさまは18歳』(1970年 - )の「だいぶ前」だという[27]

1990年代には、当時徳間書店傘下の大映映画株式会社で再映画化が企画されたこともあった。1991年後半の企画時には、ストーリーの一般公募も行われたが[28]、大魔神よりもガメラの人気が高いことが判明し、企画が平成ガメラシリーズにシフトした結果、企画はいったん頓挫した[29]。その後も大映では企画が持ち上がり、1998年頃にはハリウッド俳優のスティーブン・セガールを主演に迎え[注釈 7]、東宝配給で公開する企画が存在したという[30]。後に筒井康隆が執筆した戯曲シナリオのみが2000年に『SF Japan』2000年秋季号に掲載されて公開、2001年に単行本として出版された。その他に大友克洋も脚本を執筆していた[31]

2000年代には大映の映画事業を継承した角川映画が改めて再映画化を企画し、2003年1月30日に『妖怪大戦争』とともに再映画化の準備中であることを発表[32]した。


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