大韓民国の地方行政区画
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特別市・広域市の下にはが、道の下にはが置かれている。基本的にはこれらが韓国の基礎自治体である。

市と郡は公選の首長(市長・郡守)と議会(市議会・郡議会)を持つ。1995年に行われた地方行政制度の改編によって、広域市の中に郡が属することができるようになった。

特別市・広域市に属する区は、一般の市と同等の基礎自治体であり、公選の区庁長と区議会が設けられている。これは、日本の東京特別区と同様である。

人口50万人以上の市は大都市で区が設けられているが、これは日本の政令指定都市の区と同様、自治権を持たない(公選の区庁長や区議会を置かない)行政区である。

また、済州特別自治道の下にある2つの市は「行政市」である。特別自治道が単一の基礎自治体であるため、行政市は自治権を持たず、市長は道知事が任命する。ただし、江原特別自治道と全北特別自治道では市郡が自治権を維持し、従来通りの基礎自治体である[2]

国会議員選挙区も基礎自治体で区分けされており、甲乙丙丁戊の十干で分ける選挙区もある。

なお特別・広域市とほぼ同等の権限がある「世宗特別自治市」では、行政区や行政郡などは定めていない。
市・郡・区の下位行政区画

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基本的に、市・区の下にはが、郡の下にはがある。

都市部に置かれた洞は日本のにおける町名・大字に相当する。支所・出張所と公民館の機能を併せ持った「住民センター(旧洞事務所)」が置かれている。郡部に置かれた邑・面はそれぞれ日本の町・村に当たるが、自治権は持たない。邑・面にもそれぞれ、「洞事務所」と同様の機能を持つ「邑事務所」「面事務所」がある。1995年以後に市と郡が合併してできた市、人口規模の大きな郡を丸ごと昇格させた市を「都農複合形態市」と呼び、同じ市の中でも洞と邑・面が置かれている。

洞の下には統が、さらにその下にはがある。統は日本でいえば町内会・自治会に相当し、班は町内会・自治会内の班に相当するが、統・班は「10統3班」のように数字で表され、住所を書く際に番地の後ろにカッコ書きで統・班を表示することがある。

邑・面の下にはがあり、これは日本の町村における大字に相当する。韓国の統計書では、これら末端の行政組織の人口・世帯数もカウントされている。

各市道における市・郡・区の数市・郡・区行政市・一般区邑・面・洞
計市郡区行政市一般区計邑面洞
合計2267582692353,0522201,1932,089
特別市ソウル特別市2525423424
広域市釜山広域市1611520632201
大邱広域市927147413130
仁川広域市1028146119129
光州広域市559595
大田広域市557979
蔚山広域市514564844
道京畿道312831756033108419
忠清北道12384153158751
忠清南道158722072413746
全羅南道225172973319668
慶尚北道22101223243519594
慶尚南道18810531521175119
特別自治道江原特別自治道18711193249574
全北特別自治道146822411514482
済州特別自治道2437531
特別自治市世宗特別自治市13193

沿革「韓国の地方自治」も参照

朝鮮王朝時代末期から日本統治時代初期にかけての行政制度改編が、今日の韓国の地方制度の基盤となっている(歴史的な制度については、朝鮮八道十三道制を参照)。日本の降伏後、アメリカ軍が進駐した戦後の朝鮮半島南半部の地方行政は、日本統治時代の地方行政区画や制度を引き継ぐ形で出発した。米軍統治下、済州島は全羅南道から分割されて済州道となり、ソウル市は京畿道から分離されてソウル特別市となった。

大韓民国の建国後、1949年の地方自治法によって市・邑・面が「自治団体」とされた。自治団体には地方議会が編成され、自治体の長を議会が選出するとした(ソウル特別市長・道知事は大統領の任命、郡守は道知事の推薦により大統領が任命)。1960年の法改正によって市邑面長の公選への道筋が付けられたが、1961年軍事クーデターにともなって「地方自治に関する臨時措置法」が制定され、地方議会は解散、地方自治は停止された。邑・面に代わり郡が「自治体」とされ、以後、市・郡は中央から派遣された官僚によって行政事務を行う地方行政機関となった。

1963年には慶尚南道釜山市が道から分離され、「釜山直轄市」となった。行政区画の上では都市部と農村部を区別する「都農分離」が行われ、郡の中で都市化の進んだ地域は市として分離された。

1980年代には、京畿道仁川市・慶尚北道大邱市1981年)、全羅南道光州市1986年)、忠清南道大田市1989年)がそれぞれ直轄市として昇格し、道から分離された。

1980年代末の韓国の民主化により、1991年から段階的に地方自治が復活するようになったが、行政区画の問題点も浮かび上がってきた。1995年には都農複合形態市の編成も可能になり、かつて分割された市郡の統合、飛び地の解消など、地方行政区画の再編が大規模に行われた。また、1995年には官治的な色彩を帯びた「直轄市」の名称が「広域市」に改められている。

1997年には慶尚南道蔚山市が蔚山広域市に昇格。また2006年には済州道の自治権が拡大されて済州特別自治道となり、2012年には忠清南道燕岐郡を主とした地域に世宗特別自治市が新設された。特別自治市は特別市や広域市と同格とされている。

2022年5月29日、韓国国会で「江原特別自治道設置等に関する特別法案」が通過したため、2023年6月に江原道は済州特別自治道に次ぐ2番目の特別自治道、江原特別自治道となった[3]

2022年12月、韓国国会で「全北特別自治道設置等に関する特別法案」が通過したため[4]、2024年1月に全羅北道は3番目の特別自治道、全北特別自治道となった[5]


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