大韓帝国(だいかんていこく、朝鮮語: ????/大韓帝國〈テハンジェグク〉)は、1897年(光武元年)から1910年(隆熙4年)の滅亡に至るまで李氏朝鮮が用いた国号[1]である。大韓(だいかん、??(テハン))、韓国(かんこく、??(ハングク))とも言った[2]。また、現在の大韓民国(韓国)と区別するため、「旧韓国(きゅうかんこく)」と呼ばれることもある。
日本は日清戦争に勝利したことで、1895年(開国504年)に下関条約で李氏朝鮮を清の冊封体制から離脱させた。それを受けて、清朝との宗属関係も消滅した自主独立国家となったことを内外に示すため、第26代李氏朝鮮王である高宗が皇帝に即位し、あわせて国号を改称した。ただし、専制政治・経済機構は李氏朝鮮時代の状況が続いた[3]。朝鮮半島最後の専制君主国であるが、日露戦争後は日本の保護国となり、1910年8月の韓国併合によって滅亡した[3]。 国号の大韓は、三韓統一を達する名称として出た。 高宗実録によると、家臣から清からの冊封体制離脱に当たり、朝鮮王宮では明から 下賜された国号「朝鮮」を変更する提案が高宗になされた。その際、高宗は朝鮮を「三韓の地」と認識しており、かつ「韓」を含む名称が歴代の統一朝鮮王朝の国号として使われていなかったため、国号としての格が従来より上がる漢字一文字の「韓」に、修飾語の「大」を加えた[6]「大韓」が新しい国号に定められた。 また、国名を「帝国」としたのは、冊封からの離脱に際し、国王の称号を「皇帝」へと変更したからである[4]。小島毅は、「清という皇帝がいる国の庇護下にある王国だったのが、日本が後押しして、清から自立した帝国になり、大韓帝国を正式な国号とします」と評している[8]。 朝鮮国(李氏朝鮮)は、1637年に清へ敗北したことで三田渡の盟約を結ばされ、冊封国となっていた。その後、19世紀後半に列強の帝国主義政策が東アジアにまで及ぶと、1875年の江華島事件を契機として翌1876年に日本と締結した日朝修好条規を始め、李氏朝鮮はアメリカやフランスなどの欧米諸国と不平等条約を結ぶことになった。 このような情勢を受け、朝鮮国内では清国との冊封体制を脱して近代化をすべきだという者(開化党)と、清国との関係を維持すべきだという者(事大党)とが対立する。そうした中で1882年、両派の暗闘から壬午事変が起こり、日本公使館も暴徒に焼き討ちされて死亡者が発生する。公使館保護を名目とする日本と、朝鮮を属国と主張する清の両国は鎮圧を理由としてともに出兵、日清の対立は決定的となった。 当時の朝鮮半島は、共に自らの勢力圏におさめようとする日本と清朝の角逐の場であったため、日本は権益を確立するため朝鮮国に対する清朝の影響を排除する必要があった。そして、1894年に日清戦争が勃発し、1895年に日本が清国に勝利、下関条約を締結した。
国名
原文
奉天承運皇帝詔曰:「朕惟檀,箕以來,疆土分張,各據一隅,互相爭雄,及高麗時,呑竝馬韓,辰韓,弁韓,是謂統合三韓。及我太祖龍興之初,輿圖以外,拓地益廣。」
現代語による大意
奉天承運皇帝[注釈 1](高宗)は次のように詔を下された。「朕が思うに、檀君、箕子以来、(朝鮮は)領土が分離され各々(の勢力)が各地を占めては互いに覇権を争ってきたが、高麗の時代に馬韓、辰韓、弁韓のいわゆる三韓を統合した[注釈 2]。そして我の太祖(李成桂)が王位に就いた初期のうちに(従来の)国土以外にも領土を広げた[注釈 3]。」 ? 高宗実録36巻、高宗34年10月13日(陽暦)2番目の記事より[4]。全文は、国史編纂委員会が公式HPを設けて公開している[5]。
明から下賜された国号「朝鮮」の変更提案
原文
上曰:「我邦乃三韓之地,而國初受命,統合爲一。今定有天下之號曰『大韓』,未爲不可。」舜澤曰:「自三代以來,有天下之號,未有承襲于前者矣。而朝鮮乃箕子舊封之號也,堂堂帝國,不宜因仍其號矣。且大韓之號,稽之帝統之國,無襲舊者矣。聖旨切當,無敢贊辭矣。」
現代語による大意
お上(高宗)が言うには「我が国は三韓の地であるが、国の初め(李成桂の李朝樹立時)に天命を受けて一つの国に統合された。今、国号を『大韓』に定めては為らぬことは無い。」舜澤(摂政の沈舜澤)が言うには「三代以来、国号は以前のものを踏襲した例がありません。ところで、朝鮮は箕子がかつて(周の武王から)封じられた時の称号であるので、堂々とした皇帝の国として、その称号(朝鮮)をそのまま使うのは正しくありません。『大韓』の称号は、皇帝の系統を継いでいる国で考えますと、古き者から踏襲したものではありません。聖上[注釈 4](高宗)の仰られることは極めて当然のことで、あえて付け加えるような言葉はございません。」 ? 高宗実録36巻、高宗34年10月11日(陽暦)3番目の記事より[7]。
概説
李氏朝鮮の清への冊封国時代朝鮮国としての詳しい歴史については李氏朝鮮を参照
日清戦争と下関条約による独立