大阪阿部野橋駅
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当駅は1923年に天王寺村大字天王寺に大阪天王寺駅として開業し、同年中に大阪阿部野橋駅に改称されているが、大阪市編入以前のこの時期は表記が現在よりも混在していた。他にも現在ではほとんど見かけなくなった「安倍野」や「安部野」表記も混在していた中で、阿倍野橋北詰に阿倍野橋駅を設けていた大阪市電は早い段階から方向幕平仮名表記を採用しており、後の大阪市営バス(現・大阪シティバス)に継承されている。
歴史

1923年大正12年)

4月13日大阪鉄道大阪天王寺駅 - 布忍駅間開通時に「大阪天王寺駅」として開業[2]

5月10日:「大阪阿部野橋駅」に改称[3]


1937年昭和12年)11月:阿部野橋ターミナルビル開業(後の本館西側(旧館)部分の北半分)。

1943年(昭和18年)2月1日関西急行鉄道が大阪鉄道を合併。関西急行鉄道天王寺線の駅となる。同時に上本町より本社が移転。

1944年(昭和19年)6月1日:戦時統合により関西急行鉄道が南海鉄道(現在の南海電気鉄道の前身。後に再独立)と合併。近畿日本鉄道南大阪線の駅となる。これにより至近距離にある上町線の天王寺駅前停留場、天王寺支線の天王寺駅との徒歩連絡を開始(ただし1947年6月1日付で会社分離により両駅と本駅との徒歩連絡を廃止)。

1945年(昭和20年)3月14日大阪大空襲でターミナルビルの2階以上を焼失。同年12月から復旧工事を行い、1948年4月までに全館が復旧し、営業を再開。

1956年(昭和31年)2月:ターミナルビルを南側に増床する工事を着工。翌1957年4月に竣工、同年12月に北側部分と外装を統一した上で、全館オープン(この時点で本館西側(旧館)部分が完成)。

1963年(昭和38年)5月18日:構内で電車正面衝突事故。

1966年(昭和41年)3月:穿孔式定期券用自動改札機の試用開始。

1969年(昭和44年)12月4日:この日をもって同駅付近に位置していた近鉄本社の業務を終了。近鉄本社は翌5日より再度上本町に戻った。

1971年(昭和46年)4月1日:磁気方式の定期券専用自動改札機を設置[4]

1987年(昭和62年)

7月1日庚申街道を地下通路化。

9月21日:東口改札開設。


1988年(昭和63年)11月11日:阿部野橋ターミナルビル新館(百貨店本館東側(現・ウイング館)部分)が開業。

2007年平成19年)4月1日:PiTaPa使用開始。

2009年(平成21年)

3月19日:阿部野橋ターミナルビルの本館西側(旧館)部分を、建て替えのため閉鎖。

3月20日:西口改札を橿原神宮前寄りに35m移設し、当駅 - 河堀口間0.1km短縮。これにともない、1・2番線の有効長が最大7両編成までに短縮[注 1]


2013年(平成25年)

6月13日 - あべのハルカス・タワー館(西側の低層階(地上14階 - 地下2階)部分)が先行開業(ウイング館(東側部分)の一部(9階など)を含む)。

10月10日 - あべのハルカス・ウイング館の地上4階の一部 - 地上8階部分が、第2期分として開業。


2014年(平成26年)

2月22日 - あべのハルカス・ウイング館の地下2階 - 地上4階の残り部分が、第3期分として開業。これにより、ウイング館が全面開業。また、あべのハルカス開業にあわせ、駅構内店舗が「Time’s Place(タイムズ プレイス)あべの」としてリニューアルオープン。「クロワッサンの店」「プロント」など18店で展開。

3月7日 - あべのハルカスが展望台等を含め、グランドオープン。


2016年(平成28年)3月15日:接近・発車の案内放送が更新。

2018年(平成30年)

1月13日可動式ホーム柵を4番のりばの4両目部分に試験で設置。

9月1日:可動式ホーム柵の本格設置工事開始。これに伴い試験で設置された可動式ホーム柵は一時撤去される。

12月15日:3番のりばに可動式ホーム柵を設置[5][6]


2019年(平成31年)2月初旬:4番のりばに可動式ホーム柵を設置。

利用可能な他の鉄道路線

以下の駅とは横断歩道歩道橋、地下道などを通じて乗り換えが可能である。

西日本旅客鉄道(JR西日本)- 天王寺駅

関西本線大和路線

大阪環状線

阪和線


Osaka Metro - 天王寺駅、阿倍野駅

御堂筋線

谷町線


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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